「花嫁の父」を演じた日

今日は「花嫁の父」の役割を演じる日である。自分がどういう気持ちになるだろうかと楽しみでもある。
着替えがあるので先に家を出る妻を「やっとこの日が来たね」と話しながら車で駅に送る。
その後、昨日九州から上京した私の母親と、息子の三人でタクシーで駅に向かい、表参道まで電車で向かう。母は足がよくないので、ゆっくりゆっくりと一緒に歩く。
式場のセントグレース大聖堂の待合室に入ると、弟夫婦、妹夫婦、妻の兄夫婦、姪、などが次々と正装で現れる。
私は着替え室で初めての燕尾服、妻は黒留め袖の和服といういでたちになり、いよいよという気分になる。
親族控え室で両家の親族紹介。これは新婦側は父親の私の役目であるが、自分との関係ならば楽なのだが、新婦から見ての関係を言わなければならないので、案外難しい。新郎側がお父さんの体調の関係で、新郎の母親がつとめる。
簡単なリハーサルをした後、新郎新婦と私たち夫婦が少しの時間一緒になる。娘のドレス姿は熱心に選び抜いただけあってなかなかいい。
教会の入口の前に立つ。先頭は私、左に妻、右に白いドレス姿の新婦の娘という三角形の形で扉が開いたら入っていく。場内から「ホー」というため息が聞こえる。まず、少しかがんだ娘の顔をベールで被う儀式を妻が行う。その後、私と娘が腕を組んで、一緒にドレスを踏まないようにゆっくりと歩んでいく。今日の私のテーマは「ゆっくり」である。神父様を見あげながら歩いて行く。右が新郎側、左が新婦側だが、顔を確認することはできない。暗い場内の前方のステンドグラスが眩しく敬虔な気持ちがする。出迎えた新郎とお辞儀をして握手。「よろしくお願いします」。そして、娘の右手をとって新郎に渡す。二人は前に進む。私は自席に座る。
外国人の神父さまによる結婚の誓いの儀式が進む。前方のステンドグラスと明るい日差しの中で、神聖な儀式が行われていく。
終了後、教会の外の階段を降りる二人に出席者全員が少しづつ手に持った花びらをまく。このイベントは雨が降っているとできないそうだ。教会の外の道を歩く人たちや、レストランにいる人たちもカメラで撮影したりしながら、参加している。二人は空に舞う花びらの中を降りていく。「お父さん、エスコートありがとう」と娘。階段の下は娘の友人の若い女性がいて、最後に娘は後ろ向きになってブーケを投げて歓声があがる。その中に私の母がいたのはご愛敬。
全員で記念写真。どういう写真になっているか楽しみだ。
さて、次は披露宴。ウェルカムドリンクから始まっているから、和やかな感じで始まるまでの時間を過ごす。席につくと娘からのメッセージがあった、「お父さん さあ今日がついにやってきたよ。式ではエスコートありがとう。そしてアルバムをありがとう。感動したんだよ。今日はいっしょうけんめい準備してきた披露宴を楽しんで下さい。28年ありがとう あずさ」という文字が書かれてあった。こういう準備は大変だったろうなあと思う。
披露宴は、まず冒頭に新郎からの挨拶という型破りだった。続いて新婦も挨拶。それぞれの上司の祝辞なども続いたのだが、会場全体は非常にリラックスした雰囲気だ。私の家で撮ったビデオ映像では、愛犬ちょこらも登場。弟のギターで妻と娘が歌う。私の挨拶。新郎側の家族を娘がインタビューする映像も面白かった。お父さん、お母さん、そしておばあちゃんの娘とのやりとりが素晴らしかった。「あー、生きてて良かった、、」。巧まざる名演技だった。
新郎が主演の番組も凄かった。男鹿半島、仙台での撮影場面が出てきた。テレビ番組さながらのドキュメンタリーだった。会場は笑いの渦だった。
今日はホスト役なので、皆さんに挨拶にゆく。ビールをつぐというというやり方ではなく、お礼を述べにいく。新郎側の上司や仲間達、そしてこちら側の娘の小学校、中学校、高校、大学等の友人達と歓談。全体に形式張ったところはほとんどなく、二次会の雰囲気。二人とも披露宴を心の底から楽しんでおり、「楽しくてたまらない」様子だ。こういう披露宴も珍しい。

最後は、両親への謝辞。娘からは、家族旅行、勤務先での仕事のやり方のアドバイスなどを材料に謝辞があった。こういうときにはどのような気持ちになるのだろうかと自分を観察。妻の方は泣いていた様子だったが、意外なことに私もやはり少し涙が出そうになったが、何とかこらえ踏みとどまった。娘からのうさぎのぬいぐるみのプレゼントでは妻と娘は抱き合って泣いている。私は妻の方に少し手をかける。
新郎の感謝の辞では、体調を崩している父親へ孫の顔を見るまで元気でいて欲しいというメッセージが心に残った。
最後の両家を代表しての謝辞は、新郎のお父さんに代わってお母さんが素晴らしい挨拶をした。「ご苦労様でした。素晴らしいご挨拶でした」と感想を伝える。

新郎新婦と並んでお見送り。二人とも友人に恵まれているという印象を持った。特に新郎の友人の多さ、親しい友人が多いというところは頼もしい。皆さんからのお祝いの言葉と、「いい結婚式でした」という感想が多く、嬉しく思った。

私はツイッターで式や披露宴の様子を流してみたが、娘のことを知っている佐倉時代の近所の人や仙台時代の仲間など、知り合いを中心に多くの反応があって面白かった。一緒に喜んでくれたり、「先生、泣くんじゃないですか?」などの反応もあった。

友人を中心とする二次会は120人ほど集まってこっちも賑やかだったそうだ。娘の友人がツイッターでその様子を直接知らせてくれた。新婚旅行は明日からインド洋のモリジブだそうだ。

終了後、近くのクレヨンハウス(落合恵子)の喫茶で、久恒家の親・兄弟夫婦と子供たち9人で久しぶりに歓談。子供世代は28歳の亮介と25歳の啓介が二人で語り合っていた。

今日の短歌。
 大輪の花と咲きたる我が娘 よき若者と今歩み始めん
 横浜と千葉仙台と移り来し 我が家の歴史娘とともに
 梓川いつか行かんと契りしに 名付けた娘 梓嫁ぐ日

ともかく、一大プロジェクトが成功裏に終了した。