「遅咲き偉人伝」(PHP)のアマゾンの書評から

拙著「遅咲き偉人伝」(PHP)の書評がアマゾンに載り始めた。大学生から80歳近くの方まで、いずれもきちんと読んでいただており感謝に堪えない。
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「遅咲き偉人」について考える(田邉大輔)

この遅咲き偉人伝〜人生後半に輝いた日本人を見る前、私は遅咲きという言葉を心の中で否定していた。若いうちに努力し、成果を上げ、安定した生活を送る。私の描いていた未来予想図がいかに甘いのか思い知った。

筆者の凄い所は、偉人の素晴らしい所を認め、そして独特の着眼、何より文章から人物記念館をみて回った経験から来る包容力の様なものが伝わってきた。

19人の人物には多彩型、一筋型、脱皮型、二足型と4つに区切られているのも面白い。遅咲きというのが地道ながら、かつ辛く大変だということもわかり、コツコツ努力することが一番の力になるということを改めて思い知らされて良かった。

☆5つ
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「この先」に悩む人にこそ、ぜひの一冊。(佐々木)

ここ数年でスポーツ界を始め、各界でその分野をリードするような10代から20代前半の早熟のプレーヤーが誕生し、マスコミも過熱気味と思えるほど連日取り上げるようになった。

その一方で、(私も含めた)その上の20代後半から30代にかけての世代は、「ミドルエイジクライシス」という言葉も生まれたように、就職氷河期から景気低迷、さらには将来の社会不安と明るい兆しが見えぬ中を生きている。その中においては下の世代の輝かしい活躍さえも、ともすれば「それに比べて私は…」と自らの陰を一層暗くするものになりかねない。

「この先、どう生きていけばいいのか」…暗中模索をする人にとって、この本は一筋の光となり得る1冊に思えた。

この本の中では、著者が多忙の中でもライフワークとし、その数はや400館に迫ろうという「人物記念館の旅」の中で得た、「人の偉大さは人に与える影響力の総量(広さ×深さ×長さ)で決まる」という結論の元、遅咲きながらも長く仕事を行った偉人19人をピックアップして取り上げており、その人選も非常にバラエティに富んでいる。

その中でも、特に私の印象に残ったのは、松本清張与謝野晶子新田次郎の3名である。いずれも仕事や主婦業をこなしながら、執筆活動という自らのライフワークで花を咲かせていった。これは、今現在職に就きながらも迷いの中にいる人にとっても大きなヒントとなるのではないだろうか。(何より著者自身も、ビジネスマンとして活躍する傍ら執筆活動を続け、この著作がちょうど100冊となる。)

そして、ここに取り上げられた人物すべてに共通するのが、「自らのライフワークにおける、日々の積み重ねを絶やさなかった」ということである。各人好きなことだったから続いたということはあるだろうが、力のたくわえが無ければ花を咲かせることはできないということを、改めて感じた。

この本で取り上げられている一人、彫刻家の平櫛田中の語録の一つとして、著者は以下の言葉を紹介している。「実践、実践、また実践。挑戦、挑戦、また挑戦。修練、修練、また修練。やってやれないことはない。やらずにできるわけがない。今やらずしていつできる。やってやってやり通せ。」107歳で亡くなるまで創作活動を続けた田中だからこそ、余計に胸に響く。

彼、彼女らほどの花は咲かないかもしれない。だが、何かを始めるのに、遅すぎることはない。自分なりの生き方を見つけ、その歩みを始める契機として、おすすめの一冊である。
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現代社会での生き方を学べる本(加賀屋清兵衛)

思い立ったが、吉日と人はいう。筆者は、福沢諭吉の言葉がきっかけで、記念館巡りとそのブログを書くことを思い立ったとのこと。以来、書き続けている、、、と簡単には言うが、その継続する力に驚く。

また、本書では、これまで数多く輩出された偉人の中から、さらに偉人を選出したわけだが、この作業は、非常に困難を極めた事と思う。人生においては、誰しも一度は花咲く時がある。ただ、その花の大きさと、咲く時期が異なるだけだ。「遅咲き」をテーマに取り上げた筆者の発想力は非常にユニークである。

わたしの散策路でもある玉川上水沿いに「平櫛田中記念館」がある。本書にて、彫刻家:平櫛田中を取り上げていることから、ここから読み始めた。
親として伝えたい言葉が、田中語録はじめ偉人伝の中に数多くあり、本書を読んで、改めて家族を連れて行ってみたいと思う。

本書は、最初から読む必要性はないだろう。自分の興味ある人から、読んでいけばいい。または、まったく知らない人から読むのもいい。どこから読んでも、いつ読んでもいい形態になっているところがいい。

本書では、写真や図表が使われていないが、かえってそれが新鮮で、読むに従い偉人のイメージが広がっていく。

若年や壮年の人たちにお薦めの本ではあるが、年配者であっても、人生を振り返るに、とてもよい本である。
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かぐわしい風が吹き抜ける一冊(八木)

久恒さんの「遅咲き偉人伝〜人生後半に輝いた日本人」(PHP研究所)を一気にひきこまれて読んだ。読んだ後、かぐわしい一陣の風が体中を吹き抜けるように感じた。

これはどこから来たのだろうかと考えた。もちろん、作中の19人の人物から来ているが、まずこの19人を取り上げた久恒さんの人柄からも来ている。久恒さんは7年前から300館をこえる人物記念館をまわっている。記念館は全国各地にあるから多忙の身で遠近にかかわらずこれだけの数の館をまわることだけでも偉業であるが、その中からさらにこの19人を選び取ったということが久恒さんのさらなる偉業であった。

久恒さんが持っている余人に代え難い美質は、真贋をめざとくかぎ分ける動物的なカンのような能力である。またよきものはよしと認め、尊敬するものにはひざまずいて手をあわせる純真な心根である。この能力が数ある偉人の中から日本民族が産んだ絶品中の絶品の人物を選び出した。

この人物たちはししとして真理を追い求めた努力の人であるが共通して一種のかぐわしい香りを立ち上らせている。毀誉褒貶にまみれている人物は一人もいない。

「遅咲き」というのは、名を認められたのが比較的に遅い年齢であったという以外に、若いときから高年齢に至ってもししとしてあくことなく勉強し、仕事をしつづけ、ついに大器となったという共通の性格を言ったのであろう。

幸せを願い、安居楽業にいそしむ善良な人々を善男善女とよぶならば、善男善女で世の中はもっている。彼らは毎日せっせと生きるのに忙しい。しかし人間はパンのみに生きるにあらず。心の琴線に触れる価値や美や文化、娯楽を求める。そういうものを求めて本を読み、美術を鑑賞し、講演を聴き、芝居や音楽、舞踊を楽しむ。遅咲き偉人伝の人たちは彼らにそのような価値あるものを供給しつづけた先達である。

人物記念館は価値ある業績を残した人物の遺品や遺稿、写真などを陳列して個人の偉業を永久に顕彰するために建てられる。しかし、いくら有名でも地元で評判の悪い人の記念館は建たないという。女癖が悪いとか、家族を不幸にしたとか、大酒飲みだとか、金銭トラブルをおこした人には庶民の見る目は厳しい。心の美しい人でないと敬愛されない。

久恒さんは偉人の事績、その時代や周囲の環境などを調べていきいきと彼らの姿をよみがえらせてくれる。とくに彼らがなした怒濤の仕事量、つまり相当量の作品を創っていることに驚いている。戦前から仕事をしてきた人が多いが、戦後の思想の激変期を越えても彼らの価値ある作品は時代を越えて生き残っている。

なぜだろうかと考えると、彼らは自分を日々大きくしていき、長く人々の評価に耐えつづけたからであろう。こういう努力は何だろうかと考えると、その日その日を価値ある時間として生き続けたからであると思う。私の人生を振り返ってみても一番無駄な時間だったなあと思うのは自己嫌悪感に陥り、厭世観に逃避し、自信をなくしている時期だった。こうなると何もかも消極的になり、生産的なことはいっさいできなくなる。実に大きな損失になる。自信は、何か大きな目的に自分を巻き込んでしまって無我夢中になり、他者の評価を得て、信頼とつながりの中で生きることのなかで徐々に、あるいは突如として生まれてくる。

遅咲きといっても40才くらいから船出しても十分こういう生き方は可能であるということを久恒さんは実例をあげて示してくれた。今ならば、50才、60才で無事家を建て、子供を育て、定年に達した人でも、第2の人生で、これまでの仕事と人生の経験を生かして他人のためにつくすことは可能である。いろいろなことが今までなされ尽くしているのでもう自分がやる余地はないと思っている人がいるが、これは大間違いである。いままでの思考習慣をがらりと変えなければならない地平が無限に広がっている。日本の中のことはかなり先達がやっていてもひろい世界のことは何も手をつけられていない白紙状態といってもいいのではないだろうか。19人の偉人の事績を実によくまとめたいい本を久恒さんは書いてくれた。