映画「ソーシャルネットワーク」に感動しないのは何故か

話題の映画「ソーシャルネットワーク」を観た。

あっという間に世界最大のソーシャルネットワークの成長した「フェイスブック」の誕生の過程を描いたサクセスストーリー。ハーバード大学の友人たちからアイデアの盗用と、裏切りにあったと二つの訴訟を起こされた主人公・ザッカーバーグと訴訟相手と弁護士たちが一堂に会した場でのやり取りの過程で、過去の事件を回想していきながら物語が展開していく。

2003年10月に新しいビジネスを見つけた19歳のザッカーバーグは、2011年現在26歳か27歳。この間、彼の率いるフェイスブックは207カ国5億人の利用者を持った。今話題になっているエジプトの政変もこのフェイスブックが大きな役割を果たしているというから、その影響力は計り知れない。
個人的な恨みから発する事業アイデアのきっかけ、事業に急速な発展に伴う友人との葛藤など、ここに至るまでの事業展開と人間関係を描いたアメリカンドリームを追った映画という印象だ。

パソコンやインターネットをめぐる天才たちの動きは大方このようなプロセスになるだろう。そういう意味では、映画としては時宜を得た好企画であり、主演者はお宅的キャラクターを持つザッカーバーグを好演している。

だが、この映画には大きな欠陥があるように感じた。一人の天才の成功物語ではあるが、その天才がなそうとしている事業の意義や目指している理想が表現できてはいない。ここまで爆発的な成功をおさめるには、今までのソーシャルネットワークサービスの持つ不足部分を補う何かがフェイスブックにはあるはずだ。実名で生き友人を多数持つ私たちの現実世界をさらに充実させようとする革命的なサービスであるというメッセージが弱いと思う。チャンスがあったから、それに没頭していて気がついたら億万長者になっていた、というようなストーリーになっているのが残念だ。

予告編で「ウオールストリート」という映画があり、その中で人間としての幸せを問いかけられて、主人公が「これはゲームだ」と言い放つ感覚に似ている。金融によるアメリカンドリームをIT世界に移し替えたに過ぎない映画ではないかという疑念を持った。ソーシャルネットワークという世界を広く見せることには成功しているとは思うが、実際の物語は、もっと違うものだと思う。

新しい題材とエンターテイメント性が高く映画としては面白かったが、ザッカーバーグフェイスブックの爆発の原動力である「志」が伝わってこない。だから感動はなかった。