「多摩大学卒業生に贈る言葉」

先週の卒業式が中止になり、本日から学位記をゼミごとに渡すことになった。河瀬君が都合が悪く、宮城君だけになった。
午後に学位記と一緒に寺島学長からの「多摩大卒業生に贈る言葉」を印刷したペーパーも一緒に渡した。幸あれと祈る。

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2011年3月
多摩大学卒業生に贈る言葉
                        学長 寺 島 実 郎

東日本を襲った大地震の影響で、卒業式を取り止めざるをえなくなったことを受けて、卒業生諸君に心からのメッセージを贈りたいと思います。
今回の震災に直面して諸君は何を思ったでしょうか。築き上げてきた日常が無残に引き裂かれ、生命さえも含めて人間の営為が灰燼に帰すことの悲しみと虚しさを噛み締めている人も少なくないことでしょう。日本列島がのるプレートに太平洋プレートが沈み込み、その反動が生み出す地殻変動のエネルギーが「巨大地震」となって繰り返し襲い掛かるという宿命のようなものを背負って日本人は生きてきました、
 今日のような科学技術が進歩し、地震対策が進歩したように見える時代においてさえ、「想定外」という自然災害に人間は苦闘し続けています。我々は「人間の力の限界」を思い知り、無力感に襲われがちとなります。
 だが一つだけ忘れてはならないものがあります。我々の先輩たちは、こうした震災に打ちのめされ、戦災と敗戦という悲しみに耐えながらも、希望を失わず、歯をくいしばって前進してきたという事実です。これは単に精神的な問題ではありません。希望には根拠が必要であり、それは知性と知的構想力に裏付けられたものでなくてはなりません。
 諸君が多摩大学での生活を通じて身に着けかけたものは「学び」の大切さであったと思います。授業・講義、ゼミ、友人との交流など多摩大学での時間は、人生に真剣に向き合う「契機」となっているはずです。これからが社会の現場での「本格的な学びの出発」です。私なども六〇歳を過ぎて、学び、そして行動することの大切さを痛感しています。
 今、卒業して社会に巣立つ諸君に、一つの言葉を贈ります。実は、この言葉は六年前に九〇歳で亡くなった母が、北海道から東京に進学する私に書いてくれた手紙にあった言葉です。しかも「昭和九年、故郷を出るとき、母が私に告げた言葉」と書いてありました。広島の山深い田舎に生まれた母に、母の母(つまり私の祖母)が贈った言葉という意味です。こうやって日本人は心を支え生きてきたのだと思います。
「 踏まれても 根強く忍べ 道芝の やがて花咲く 春こそ待て
  上見れば 及ばぬことも 多かりき 笠着て暮らせ 人の世の中
  下見れば 吾に勝れる 人も無し 笠とりて見よ 空の高さを 」

卒業おめでとう。

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