「手塚治虫のブッダ展」「写楽展」「レンブラント展」

東京国立博物館本館。
手塚治虫ブッダ展」
直筆原画52件、仏像20件。漫画と仏像を一緒に展示するというユニークな企画だ。漫画の連載は1972年から1983年の10年以上の長編連載。43歳から55歳までの時期。
ブッダはBC560年頃生誕。2500年前。誕生時「天上天下 唯我独尊」。右手で天、左手で地。4月8日。この日は甘茶で祝う。17歳で結婚。29歳で出家。35歳で悟り。80歳で死亡。
苦行では悟りを得られない。菩提樹のもとで不動の瞑想。涅槃(入滅)。500人の弟子。2月15日。
手塚の「ブッダ」は2000万部。歴史的な釈尊伝を縦軸に手塚のつくった人物、動物、自然などを横軸に、手塚の人間観、自然観、宇宙観を展開した。手塚のブッダ研究がよく出ている。2011年には映画化される。
ブッダ」の漫画の最初の2巻を読んでみた。物語の中に手塚らしいキャラクターも出てくる。全巻を読みたくなる。

ブッダ (第1巻) (潮ビジュアル文庫)

ブッダ (第1巻) (潮ビジュアル文庫)

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東京国立博物館平成館。
「特別展 写楽」
1794年ー1795年の正月までの10か月で140枚以上の絵を残す。版元・蔦谷重三郎は北斎、写楽、歌麿を発掘。写楽は役者の表情を描くのがうまい。目と眉の豊かな表情に魅力。写楽は阿波徳島の藩お抱えの能役者斉藤十郎兵衛でではないか。50年後の伝記に「号は東洲斎」という言葉がある。アムステルダム国立美術館、アメリカシカゴ美術館、アメリカボストン美術館などから出展した浮世絵が多い。これほどたくさんの写楽が一堂に会したのは珍しいのではないか。

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国立西洋美術館
レンブラント 光の探究 闇の誘惑」
1606年生まれ。17世紀オランダ。25歳大航海時代アムステルダムに移住。肖像画。結婚によって上流階級へ。豪邸。アトリエ。集団肖像画。版画に挑戦。50歳で破産。63歳で死亡。明暗の巨匠。版画を職人を使わず自分でやった。誰も真似が出来ない言われた版画の細密さに驚いた。和紙を使った版画。この和紙は長崎出島からオランダへ。和紙は少しの力でインクを吸い取る。版の摩耗を防ぐ。和紙刷は豪華版。コレクターの存在。レンブラントハイス(レンブラントの家)、1639年から1658年まで暮らした家。代表作のほとんどは1640年から1650年代半ば。ここで描いた。亡くなる前の55-60歳は作品はなかった。
「ヘンドリッキェ・ストッフェルス」(悲しげな表情、、)「音楽を奏でる人々」「ミネルヴァ」(知恵の女神)「三本の十字架」。