田山花袋「東京震災記」--後世に残る仕事

田山花袋「東京震災記」(河出文庫)を読了。オビ、1923年9月1日、関東大震災。その時、東京はどうなったのか。
田山花袋(1871-1930年)は、「蒲団」「田舎教師」などの作品で知られる自然主義派作家であるが、一方でノンフィクションのルポを書くような面も持ち合わせていた。その方面のもっとも重要な作品が、この「東京震災記」である。見たり聞いたりしたことを中心に、「本当の光景や感じや気分」を「出来るだけ」書いてみようとしたものだ。

東京震災記 (河出文庫)

東京震災記 (河出文庫)

被服廠、九段、小川町、四谷見附、本所、深川、ニコライ堂、俎板橋、専修学校、順天堂病院、本願寺、浅草、安田邸、隅田川、札幌ビイル、国技館、両国橋、万世橋昌平橋松屋三越丸善有隣堂、風月、丸ビル、、、、などの地名や建物の名が随所に出てきて、震災時の風景が想像できる。その中で花袋は、被災地を訪れ、被災者の話を聞き、時折自分の感想を述べる。この書は、当時の第一級の文人がみた震災の姿、空気をよく描写しており、聞き込んだエピソードも含めて、会話や語りで震災に遭った人たちの口ぶりを伝えているので、当時の様子が実感を伴ってわかる感じがある。
今回の東日本大震災でもそうであったが、災害の大きさに呑まれて皆が茫然としているなか行動に移すまでにいかない。花袋は一カ月半以上の歳月が経った段階で、筆をようやく執っている。

  • 方丈記じゃないが、家屋を持てば持っているだけ、それだけ心配が増すっていうわけですな!」
  • 「焼かれても死! 水に入っても死!、、」
  • 「地獄! 地獄だってあんなにひどくはないでしょう、、」
  • どうしてこう人間は忘れっぽいのだろう?、、
  • まるですっかり世界が変わってしまったような気がした。、、、あらゆるものがすべて曲って、歪んで、いびつになっているように見えた。
  • 「日本人、えらいですな!こういう厄災に逢っても、びくともしない。決して慌てない。それに親切だ!これは私達の国ではとても見られないことです」「本当に、この地震で、日本人がわかった!」(外国人)
  • 震災当時は東京の復興ということがかなり力強く言説され、、、、次第にそうした計画は小さくなって、今では復興ということより復旧ということに重きを置かれるようになった、、、
  • 誰を頼ったって駄目だ、、、という経験を得たものもあると同時に、自分ばかりでは駄目だ、結局他人が肝心だ、他人の情けにより今度こそは生きた、、、
  • 日光がああいう風に参詣者を減じようとは誰も思わなかったに相違なかった。
  • いかに富士とこの都会との縁故の深かったかを知ることが出来た。
  • どうしても、昔のことは書き残されたものによるより他為方がなかった。
  • しかし人間はすぐすれを忘れた。

大震災に出逢った小説家が、為すべき仕事をしたということだろうか。尊い仕事となって後世に残る仕事となった。

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大学で、春学期の成績つけ。終了。