映画「日輪の遺産」--幽窓無暦日

映画「日輪の遺産」。
多摩が舞台の浅田次郎の小説を映画化したもの。多摩市と稲城市にまたがる米軍施設・多摩サービス補助施設は、多摩火薬製造所と長く呼ばれていたが、もともとは旧日本陸軍造兵廠火工廠板橋製造多摩分工場として1938年開所した施設だ。1967年以降は、米軍は弾薬の製造を止め、ゴルフ場を移設するなど、レクレーション施設として整備した。多摩大のすぐ近くのゴルフ場のことか。

この映画に寄せた浅田次郎のメッセージが面白い。
日輪の遺産」は、41歳のときの700枚の書き下ろし長編。それまでは「新人極道作家」のレッテルが貼られていたが、「好きなものを好きなように書いてよい」という初めてのオファーをもらい、三か月ばかり熱に浮かされるように書きあげた作品だ。この作品で初めて小説家になった気がしたそうだ。
日輪の遺産」の一場面を切り取って拡大したものが半年後に書いた400枚の「地下鉄(メトロ)に乗って」である。これが翌年の吉川英治文学新人賞を獲り(44歳)、「蒼穹の昴」や直木賞を獲った「鉄道員(ぽっぽや)」につながっていく。
地下鉄(メトロ)に乗って」は、個の人生の恢復として「日輪の遺産」の真柴少佐を描いたもので、「日輪の遺産」は、日本の恢復がテーマである。
日本人の国民性を浅田次郎は「みんながものすごく真面目に仕事をする。それが日本社会の本質だと思います」と言い、その姿を描こうとした。そういえば軍人、官僚、教師、そして中学生までが任務を果たす姿が美しく描かれている。
浅田次郎の昨年の「終わらざる夏」という作品もよかったが、この作家は早咲きではなく、じわじわとよくなっていくような感じがある。次にどのような作品を読ませてくれるだろうか。

この映画の中で歌われている「出てこい、ニミッツマッカーサー、出てくりゃ地獄に逆落とし、、、」という歌は、「比島決戦の歌」だが、西條八十作詞・古関裕而作曲だった。戦意高揚のために軍部から依頼されて作った歌である。

映画に登場する5人の陸軍幹部のうち、阿南惟幾陸軍大臣は竹田、梅津美治郎参謀総長は中津、そしてこの映画には出てこないが、1945年の米艦ミズーリでの降伏文書に梅津と一緒に調印した日本代表が重光葵外務大臣も大分出身である。

親子二代にわたってフィリピンの支配者だったマッカーサーの巨大な資産900億円(現在の価値は200兆円)を日本が奪取し、敗戦直前に秘密裏に隠匿する。その任務遂行の物語である。

日輪の遺産 (講談社文庫)

日輪の遺産 (講談社文庫)

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