「執筆論-私はこうして本を書いてきた」(谷沢永一・東洋経済新報)

以前読んだ本だが、神保町の古本屋で手に入れた「執筆論--私はこうして本を書いてきた」(谷沢永一東洋経済新報社)を改めて読んだ。

執筆論―私はこうして本を書いてきた

執筆論―私はこうして本を書いてきた

76歳の時点で200冊を超える著作を持つ稀代の著述家・谷沢永一(1929-2011年3月8日)の企画の視点と書く技術を、つまり著作活動を続けるノウハウを公開した本である。改めて経歴を眺めると今年3月8日に亡くなっているが、あの3・11の大震災の直前だったのだ。
この本は中学2年生からの自らの作品が出来た時の経緯、人との縁、そしてなぜその作品に取り組んだのかという著作史になっている。その過程で手の内を公開しようというもくろみで書かれている。こういうテーマに一般論はなく、具体的な事例に即して書いていく中で、ノウハウらしきものが表現できるということだろう。

  • 後日に思いを残す未練が生じないように、その時点において思い浮かべるすべてを書き尽くすつもりで集約の気分に発してとりかかる姿勢を常に私は基本方針としていた。
  • ローマは一日にして成らず。、、、用意なくして行為なし。人のする仕事は準備と用意の結果である。
  • 何が好きかわからぬうちは、一個の生物であっても一人立ちの人間ではない。好きこそものの上手なれ。これ以上に人の生きる道を指し示すのに有効な名句はない。

以下、読みたくなった谷沢の本。司馬遼太郎が昭和30年に本名で書いた「名言随筆サラリーマン」(福田定一)は手に入れたい。

「百言百話」「名言の智恵 人生の智恵」「巻末御免」「悪魔の思想」「回想開高健」「向学心」「「男冥利」

谷沢永一は、司馬遼太郎を日本文学史上の最高の書き手であると断言し同時代に生きてその作品を旬のまま読む至福を感じている。また肝胆相照らす渡部昇一との共著も多い。

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本日、大学で。

  • 横浜家庭裁判所の総務課の方が2人見えて、12月の講演の打ち合わせ。課長補佐の男性は以前最高裁判所で研修を担当しており、私とは接触があった。それが縁で講演を依頼された。研修担当の女性も含めて二人とも名刺を持っていない。外部と接触することがないからだという説明を不思議な気持ちで聞いた。家裁は地裁と同格で主として家族の問題を扱う裁判所で、上級裁判は高裁、最高裁とのぼっていく。事務官、書記官、調査官という構成になっており、この職種の間のコミュニケーションを活発化し、トラブルを無くしていきたいという申し出だ。当日は少し早めに着いて家裁を見学することにした。裁判所での講演は、今までの最高裁、東京高裁、仙台高裁、宇都宮地裁、そして今回の横浜家裁が加わるとほぼ網羅したことになる。
  • 矢内事務長と情報交換。
  • 今泉先生とカリキュラムの履修モデルの意見交換。出原先生から帝塚山大との会議の様子を聞く。
  • キャリア柴田さんとゼミ生の就職活動についての相談。就職希望者16名のうち内定者11名。残りは5名。

来期のゼミ生募集は、第一次で6人が応募してきた。課題を課したのでやや少ないが、そのうち4人が女性だった。今年は人数は多すぎないようにしたいということと、女性をもっと入れようという目標だったが、その方向に進んでいる。