「運命の人」と「佐藤栄作日記」

センター入試の二日目。
駒沢女子大と多摩大の共催で会場は多摩大といういつものパターン。本日の主担当は駒沢女子大、ということで私はいつもの主任監督者ではなく、タイムキーパーの担当。理科と数学の試験は無事に終了。

帰って「佐藤栄作日記」を三分の一ほど読む。戦後最長の政権を担当した佐藤栄作は1952年の元旦から倒れる前日の1975年まで、延べ24年にわたって日記を書いている。私が手にしたのは全6巻のうちの第4巻で、1970年から1971年までの二年分だ。佐藤は昭和天皇と同じく1901年生まれであるから、69歳から70歳あたりの日記になる。詳しくは全部読んだ後にしたいが、週末は鎌倉で毎週のように息子の信二たちとゴルフで気分転換をしている。総理としての仕事は激務だろうが、すぐに鎌倉で静養とゴルフという週末生活だ。
この別荘は、確か以前訪れたことのあるあの鎌倉文学館らしい。旧前田侯爵家の別邸で、三島由紀夫の傑作「春の雪」の別荘のモデルになった場所である。長いアプローチで辿り着く洋館には、「長楽山荘」(聴濤山荘から変更)という表示があった。眺望の優れた気持ちのいい邸宅だったが、佐藤首相はここを1964年から借りて週末に使っていた。

佐藤栄作日記〈第4巻〉

佐藤栄作日記〈第4巻〉

この本を少し読んで食事を終えて、テレビを見ていたら山崎豊子原作の「運命の人」をドラマをやっていた。沖縄返還時の密約をすっぱ抜いた毎日新聞の西山記者の物語だ。モックン演じる弓成は毎朝新聞の敏腕政治記者として活躍するが、ライバルの読日新聞の山部一雄はのモデルは、読売新聞の渡辺恒雄ではないかと調べたら、やはりそうだった。このドラマも見たいし、本も読みたい。

運命の人(一)

運命の人(一)

1971年の沖縄返還協定の調印の日の佐藤栄作の日記を繰ってみた。
沖縄返還協定調印式をインテルサットを利用しての、、初めての試みで行う。正文は東京で作成する。この調印式の前に夜の八時半から閣議決定。九時すぎ式場に入り予定通り進行、無事調印を終える。
一部の学生を中心にしての調印反対のデモが行はれたが、大した事はない。沖縄も同様。一部の反対者の所論は諒解に苦しむもの。軍国主義化に反対か或は日米安保に反対なのか、何れにしても困ったもの。、、」