ピカソの師・セザンヌはなぜ近代絵画の父と呼ばれたのか

意外なことに近代絵画の父と呼ばれるセザンヌ(18239-1906年)という画家は遅咲きだった。
30代は落選が続き、初入選は43歳だった。そして初の個展もそれから13年後だから、セザンヌは56歳になっていた。
また、妻・オルタンスとの出会いは、セザンヌ29歳、オルタンス18歳だったが、父の反対もありようやく結婚したのはその18年後だった。
没後の1907年のサロン・ドートンヌでの回顧展でゼザンヌの名声は不動のものになった。

セザンヌの油彩画は1000点。静物画は200点、水浴画は115点、肖像画は165点(うち自画像は25点)、風俗画90点を数える。
「りんごひとつでパリを驚かせたい」と言ったセザンヌの静物画は、何か違う。
このなぞは先日のNHKの日曜美術館が解いてくれた。セザンヌはリンゴ、壺、などすべての静物を、見たままにか描かずにそれぞれがもっともよく見える視点を選んで一つ一つ描いたのだった。「オレンジにもりんごにも、球体にも頭部にも、最も高い点があるということです。、、我々の目に最も近いところにあるのです。」と言っている。その高い点がよく見える視点を選んだのだろうか。
あのピカソが師と言える画家はセザンヌ一人だったと言っている意味がわかった。ピカソは一人の人の顔を右から左から描いてそれを全部絵に入れるという奇想天外な画法を採用したのだが、そのアイデアセザンヌの静物画に源を発しているのだった。

セザンヌには師はいない。
師はルーブル美術館であり、自然そのものだった。

  • 自然を前にして優れた研鑚を積むこと、これが一番良いのです。
  • 上達するには、自然しかありません。自然に触れる中で、眼が鍛えられます。きちんと眺め、働かせることで、中心に向かう視覚を獲得するのです。

芸術の頂点は人物画だ。
自然を円筒、球、円錐という単純な形にとらえなおし遠近法の中に置く。その線や面を中心に向かうように配置する。
私は一つのりんごでパリを驚かせたいのです。
私は絵を描きながら死にたい。描きながら死にたい。

セザンヌは1906年、本当に描きながら死んだ。

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