米沢嘉博記念図書館(まんがとサブカルチャー)

明治大学には、米沢嘉博記念図書館がある。
お茶の水の目明治大学アカデミーコモンから少し歩いて男坂を下ると左手に「東京音楽大学発祥の地」という石碑があり、そこを左に折れると7階建てのビルがある。それが明治大学付属の、まんがとサブカルチャー専門図書館だ。
一階の展示室は休みだったので、2階の開架閲覧室に入る。

このまんが図書館は、総所蔵数は14万冊。現在は半分の7万冊が閲覧できりる。開架は6000冊。閉架64000冊。数年後には明治大学国際マンガ図書館に発展していく予定。

米沢嘉博という名前は知らなかったが、まんが業界では有名人だ。ヨネヤンと愛称で呼ばれていた。有限会社コミケット社長。
この人は1953年熊本生まれ。2,3歳頃から漫画を読み始め、小学生になる前から近所の貸本屋に通い詰める。中学時代から同人活動。自分でも漫画を多数発表している。
明治大学工学部時代からマンガ誌の編集やライターをする傍ら、まんが評論活動を行い、そのままこの業界で過ごし、日本初のまんが同人誌即売会を立ち上げ、コミックマーケットコミケ)を開催する。米沢は数十万人が訪れる巨大イベントに育て上げた。
1979年に準備会を立ち上げ、肺がんで亡くなる直前の2006年9月まで代表をつとめている。
1980年から「戦後マンガ史三部作」を刊行。
1999年「別冊太陽・発禁本」で日本出版学会賞、「藤子不二雄論 FとAの方程式」で日本児童文学学会賞を受賞。
2001年からは立ち上げた日本マンガ学会理事。

1997年から2002年まで、朝日新聞主催「手塚治虫文化賞」の選考委員をつとめた。
没後、2007年には星雲賞特別賞、2010年には「マンガ研究の基礎資料の収集と評論活動などの幅広い業績に対して」という理由でこの賞の特別賞を受賞している。

まんが分野に大きな貢献をした人物だ。その米沢は以下の言葉を残しており、それがこの図書館の目的と叢書の特質になっている。

 「森ではなく木を見なければなりません。そして、木が枯れれば、森は衰えてゆくのです。」

以下、友人の人物評。

  • 一つの時代一つのジャンルだけでなく漫画の全体を把握していた「百科事典みたいな人」であった
  • 「米澤は漫画の百科事典だった。漫画のことでわからないことがあると、彼に聞けばすぐ答えが返ってきた」

妻の英子と旅行に出かけると、必ずその土地の古本屋へ立寄り長年の嗅覚で探し当てていた。

この人は、幼年からの志をそのまま育てたようだ。53才と言う若さで亡くなり、その間大きなそして多くの仕事をしたが、時間があったら物凄いことになったと思う。
米沢の志がこの図書館として実り、さらに国際まんが図書館として発展していくのだが、どんな偏屈なマニアでも頼まれれば応じたという米沢の人柄が大いに関係しているのだろう。

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松井秀喜がレイズのメジャーにあがっった。もう一花咲かせて欲しい。

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今日の一枚。