時代と向き合う日記を書くという修行

阿久悠の本を手に入れて読んでいる。
「清らかな厭世-言葉を失くした日本人へ」(新潮社)
「書き下ろし歌謡曲」(岩波新書
「愛すべき名歌たち--して歌謡曲史」(岩波新書

  • アフォリズム箴言・警句)。普通の大人が、おおむねはその職業を通して確信した生き方をポツリと、あるいはさらり7と呟く程度のもの。、、虚無の心に警句を吹き込むぐらいの努力は全大人がすべきである。
  • ペーパードライバーが最優秀ドライバーのよう人間の評価が罷り通る。(実学は実際の運転技術だ)
  • 問題と答えをワンセットでいくら完璧に記憶しても想像力は生まれない。(教育のアフォリズムだ)
  • 愛情の証明は小さなことを忘れないでいる記憶力の誠意だ。(心したい)
  • 時代を見るということは時代のままになるなということなのだ。(時代のテーマと向き合う)
  • 若者はほっといても若者だが大人は努力なしでは大人にはなれない。(大人ではない大人が多い)
  • つまらない仕事でも面白がって工夫すると必ず誰かが見ていてくれる。(同感する)
  • ぼくが、若くはないけれど老人ではないと拘るのは、未熟に対する寛容さをまだ持ち得ているという自覚があるからである。(老人だと思った時から老人になる)
  • 父の値打ちは父自身が信じることで上目遣いに子を見ちゃ駄目だ。(自分の価値観を堂々と示す)
  • うちのしきたり、うちの流儀うちの言い伝えというのがいくつありますか(わが家の風)

阿久悠という作詞家は、時代の飢餓感にメッセージというボールを命中させる名人だった。「時代の中で変装している心を探す作業」、それが歌だ。歌は、慰めではない。

自身が「手足れ(てだれ)」と認めており、注文にはいくらでも応えられる。その注文がつまらない、プラスにもならず、楽しいことでも、うれしいことでもない。そういう心境に陥った阿久悠が、自分で自分に挑戦する。それは一か月で100曲の詞を書くという作業だった。この気持ちがわかる気がする。

さて、阿久悠が日記のことを書いている。それは人間離れした日記だ。自分を徹底的に排す日記だ。
アンテナに引っかかった世界情勢から料亭の料理まで同格で書いている。修業のように書く。それを一日も欠かさず43歳から死ぬまで書き続けている。時代と真正面から向き合う阿久悠の毎日の姿だ。このことに感銘を受けた。

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夕刻からは表参道で結婚パーティに参加。
多摩大社会人大学院の院生で私の講義を熱心に受講してくれてた利根川さんと、私の本の編集者の柴田恵理さんの結婚パーティ。私の大学院での講義でアシスタントをしてもらったことが機縁となった。ということで、私の役目は冒頭の乾杯の挨拶。「妄想」をキーワードにしてみた。
社会人大学院、著書を持つビジネスマンへの講座。新刊本「妄想ノート」。怪しげな空想。妄想、行為、結果。利根川さんの妄想から始まった。理想・構想よるも妄想を大切に。、、、。

 新婦の友人の女性弁護士と。この人とは一度会ったことがある。


会場では、大学院の受講生たちに多く会って楽しい時間を過ごした。

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