「アンビエント・ドライヴァー」(細野晴臣)--危機と曼荼羅

1978年に坂本龍一らとイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成して活躍した細野晴臣(1947年生まれ)の「アンビエント・ドライヴァー」(マーブルブックス)を人に勧められて手に取ってみた。

アンビエント・ドライヴァー THE AMBIENT DRIVER (マーブルブックス)

アンビエント・ドライヴァー THE AMBIENT DRIVER (マーブルブックス)

著者はセッションミュージシャン、プロデューサーとして多面的に活動しているカリスマだ。

ネイティブアメリカンの自己完成に固執しないで、自己を自然の中に投げ出すような生き方、そして彼らの言葉に関心をいだいた著者は、物語のない、何も起こらない音楽であるアンビエント・ミュージックに出会う。
オペラの歌声は、一種の帝国的な表現方法であるといい、今や音楽教育を受けていなくてもコンピュータで音楽がつくれる状況下で生み出される音楽を四畳半電子音楽と言うのは面白い。

  • 僕はいまだに自分自身でも、「これは新しい音楽だ」という驚きをもって音楽に接しているからだ。
  • 複雑性というのは、いかに多くの情報を捨てたかによって生まれるのだから。そうした「外情報」の欠落に、人間は敏感だ。だから、プロセスを経ずに意図してつくられたものはすぐに見抜かれてしまう。
  • 僕は、どんな内容かはともかく、おそらく死ぬまで音楽をつくり続けているだろう。、、、音楽はやめないが、仕事は辞めたい、、、。
  • いつの間にか日記がわりにニュースをスクラップするようになった。2年前からは、ほぼ日課のようにしてニュースを眺め、気になるものを集めている。
  • 円も一種の曼荼羅だ。「危機に直面すると、人は曼荼羅を描く」というユングの考え方を借りれば、いつも危機なのかもしれない。つねにマップを作って、自分がどこにいるかを確認していないと落ち着かない。

細野は自分の立ち位置を常に確認しながら、好きな音楽の世界を生きている。作詞家の阿久悠と同じように日ごと起こる事件やニュースで時代を測り、文章を書き続ける中で自己を確立していこうとする。そしてそういった自己を音楽という手段で表現していく。曼荼羅世界を生きているのだ。
私とは肌合いは違うが、こういった感性にあふれた、そして自己に誠実なミュージシャンにあこがれる若者が多いことは理解できる。