古今の「辞世」の詩歌に遊ぶ

辞世とは、死に直面し、または死期の近づいたことを察知して、自分の感懐を述べた詩や歌。
死に直面した臨終の際につくったものと、まもなく臨終を迎えるだろうと察しての、時間的余裕をもってつくったものがある。
たまたま辞世について書かれた本を読んだので、以下心に残る辞世を書きだしてみる。

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露とをち露と消えにしわが身かな浪速のことは夢のまた夢(豊臣秀吉
うつし世を神さりましし大君のみあとしたひて我は行くなり(乃木希典
この世をばどりゃお暇にせん香の煙とともに灰さやうなら(十返舎一九
死んでゆく地獄の沙汰はともかくもあとの始末は金次第なれ(安藤広重
八十里こしぬけ武士の越す峠(河合継之助)
これでよし百万年の仮寝かな(大西瀧治郎
士(おのこ)やも空しかるべき万代(よろずよ)に語りつぐべき名は立てずしtれ(山上憶良
かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる(楠木正成
風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん(浅野内匠頭
糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな(正岡子規
春の山屍を生めて空しかり(高浜虚子
叩かれて音の響きしなずなかな(土方歳三
思ひおくまぐろの刺身ふぐの汁ふっくりぼぼにどぶろくの味(新門辰五郎
この世をばしばしの夢と聞きたれど思へば長き月日なりけり(徳川慶喜
死に水は沢山なるぞ草の露(乞食)
人間五十年の究(きはま)り、それさへ我には余りたるに、ましてや 浮世の月見過しにけり末二年(井原西鶴
旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る(松尾芭蕉
あはれなりわが身の果てや浅緑つひには野辺の霞と思へば (小野小町
つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを (在原業平
手に結ぶ水にやどれる月影の あるかなきかの世にこそありけれ (紀貫之
見るべき程の事は見つ、いまは自害せん (平知盛
願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃 (西行
わが亡骸は野に捨て、獣に施すべし (一遍)
何事も夢まぼろしと思い知る身には憂いも喜びもなし (足利義政
四十九年一睡夢、一期栄華一盃酒 -(杉謙信)
石川や浜の真砂はつきるとも世に盗人の種はつくまじ (石川五右衛門
散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ (細川ガラシャ
思ひ置く言の葉なくてつひに行く道は迷はじなるにまかせて (黒田如水
嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空 (徳川家康
極楽の道はひとすぢ君ともに阿弥陀をそへて四十八人 (大石内藏助)
世の中の厄をのがれてもとのまま帰るは雨と土の人形 (曲亭馬琴
裏を見せ表を見せて散る紅葉 (良寛
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂吉田松陰
悔いもなく怨みもなくて行く黄泉(よみじ) (松岡洋右
我ゆくもまたこの土地にかへり来ん國に酬ゆることの足らねば(東條英機