佐伯泰英 「惜櫟荘だより」--岩波茂雄の別荘の修復の志の物語

NHKの木曜時代劇『陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜』は楽しんだが、その原作者・佐伯泰英という作家の時代小説は読んだことがない。

佐伯は、30代から年に1-2冊ほど本をを書き始めたが一向に売れない時代を過ごす。1999年に初の書き下ろし時代小説「瑠璃の寺」で初めてヒット作に出会う。このときすでに57歳だった。これ以降、人気時代小説家として「月刊佐伯」と言われるほどの量産体制に入る。70歳時点で、180余冊の文庫と累計4000万部という数字を得ている。

その佐伯が作家活動で得た原資を使って、熱海の自宅の隣にあった「惜櫟荘(せきれきそう)」を買った。この建物は岩波茂雄のが精魂を傾けた名建築の別荘だった。この別荘は、岩波文庫の売り上げによって建てられた。それを時代小説文庫描き下ろし作家が受け継いだことになる。「れき」は椚(くぬぎ)の木のことだ。

著者初の書き下ろしエッセイ「惜櫟荘だより」(岩波書店)は、文化人・岩波茂雄と名建築家・吉田五十八の意地のぶつかり合いの結晶だ。「どこからでも海が見える設計」のその惜櫟荘の修復の物語である。

建物の開口部を額縁に見立てた前庭と後景たる相模灘。
惜櫟荘の主庭は相模灘。
五十八マジック

修復の技術論以外には、佐伯という作家の考えを知ることができた。

惜櫟荘だより

惜櫟荘だより

佐伯は、仕事場の条件として「海の見える地」を望んだ。北九州市八幡西区折尾出身の佐伯は玄界灘を身近に感じて育った。豊後者の血が流れているためである。

  • 読者の反応をただ一つの目安に余所見をしないことにした、ともかく作品(商品)を量産することが、出版界に生き残るただ一つの方法だと、動物的本能で悟っていた。
  • ともかく一章の起承転結を考えつつ一日一節を書く。日曜日も祭日もない。盆も暮れも書く。多作の秘訣とはただそれだけだ。
  • 職人作家を自称
  • 朝4時起き
  • 悔しかったらキャッシャーのベルを鳴らす作家になれ(児玉清
  • 惜らく荘は岩波文庫で建てられ、70年後、書下ろし文庫で守られた建物でぎざいます。
  • 「修復」するよりも「継承保存」するほうがどれほど大変かということを承知している。

「自分が富を得たら何をするだろうか?」
そういう問いを問いかけられながらこの本を読んだ。

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