木内昇「「ある男」(文芸春秋)

木内昇(のぼり)の「ある男」(文芸春秋)を読了。
この作家のことが知らなかったが、最近の新聞の書評欄でよく見かけるので手に取った。1967年生れ。出版社勤務を経て2004年に小説家デビュー。2011年、「漂砂のうたう」で直木賞。江戸時代、幕末を描く作品が多い。
男性だと思い込んでいたが、この作家は女性だった。

ある男

ある男

明治維新をからしばらく経って秩序が生まれようとしていた時代に生きた男たちの姿を短編でつなぎながら鮮やかに描き出した傑作。これらの男たちは、英雄の時代から取り残された名もない者たちだ。日本の近代化の進行の過程で明治政府の掲げる大義に屈せずにその生をまっとうした。確かにそういう男たちが無数にいて日本の近代がなったのだと感じる。生まれつつある近代の姿を裏から描いて、近代を立体的に眺める視点を提供した小説だ。

岩倉具視の暗殺未遂事件の処理に暗躍した警察官。
会津の民のために奔走した元京都見回り組の男。
国会開設を檄文で訴える岡山の隠れた俊才。
南部の山で銅を掘る男、偽札造りに関わる名職人、中央政府と民の間で苦しむ時代遅れの地役人、難事件をさばく県吏。

こういった男がいただろうなと納得させる著者の筆使いの冴は素晴らしい。
こういった短編の主人公たちは名前では呼ばれない。全員が著者からは「男」とだけ呼ばれる。名もない市井の男たち、どこにでもいただろう男たち、そういう人々の代表として「男」という言い方をしているのだが、全編を通じてあたかも歴史の闇の中で消え去った多くの男たちの生きている姿が浮かんでくるような気がした。そしてタイトルが「ある男」であることに改めて納得する。

この本の著者が女性であることに驚いた。この本は、確かに男を描いた作品だが、脇役の女を描いたその描写の細やかさ、目線の鋭さ、そしていやらしさは、この著者が確かに女であることを強く感じさせる。
いずれにしても相当な実力を持った時代小説家であることは間違いない。

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