「深田久弥の思い出」「深田久弥の追憶」から

深田久弥の思い出」「深田久弥の追憶」を読むと、この人は類稀な聖人だったとう感じがする。こういう人に会ってみたかった気もする。
文集という形で、人を記録し、記憶するやり方はいい。

深田久弥

  • 人の真似をしなというのは、何でもないことのようだが、実行はむずかしい。、、人のあとについて行くのは易しいが、自分で道を切り開いて行くには努力がいる。

深田久弥を語る友人、知人、家族の言葉から

  • 木戸を直す余裕があるのならその分で本を、中央アジアやヒマラヤの本を買うというのが深田家の思想だったのだ。
  • 足を踏み出したままの姿で姿勢で、巨木のように倒れ、深田君は一瞬にして意識を失ってしまったのだ。
  • 軍人は戦場で、役者は舞台で、そして山を愛するものは山で倒れた。
  • 豊富な山歴を背景にした彼の一種の人生観からしみ出てくる話は、いつもその陰に仲間特有の温かな友情が溢れ、気負った処もなく、大らかで僕を惹きつけて止まなかった。
  • 私が君に感服するのは、その心から山を愛し楽しむ態度であり、高度や知名度にまどわされず、山そのものの真髄にとけ入る態度であり、読み・書き・語ると共に、驚くべき実行力を発揮して、自ら山に出かける勇気と決断である。(日高信六郎)
  • いつも純真で、おおらかで、しかもあたたかい味があった。誠実で、高ぶることなく、山の好きな人なら誰とでもよく付き合った。
  • いつもにこにこしておられて、はげしい言葉を吐いたり、怒りを顔に現したりするお人ではありませんでした。、、私は家人に、先生のような死に方をしたいと言いました。(新田次郎
  • 私は年をとって、仕事から解放されたら、もう一度ヒマラヤに登ってみたいと思い、そのときの相棒には、ぜひ彼を引っぱりだしたいと、戸心に決めていた。(今西欣司)
  • 一つ一つの歌を、大きな掌で拍手しながら丁寧に歌った、何事にもけれんがなく、篤実であった人柄が一そうはっきりしたように思った。(桑原武夫
  • たった一つはっきり憶えているのは、隊長がマダムと合唱し、意気投合の二人は、つと立上がって、カウンター越に長いキスをしたことふぁでである。(長沢和俊
  • 唯、酒を飲んで、自然を語り、世事を論じ、君の文学や芸術の話を聞くのがまことに楽しかった。
  • 我慢強うい人で、演習にはツライとは一度も言ったことがなかった。
  • 人品骨柄、、、という言葉がある。深田久弥氏には人品があった。
  • そういう武人としての毅然たる床しさに隊員一同ひとしく敬慕の心をあつくしました。
  • 梅凛々しく九山少尉応召す(虚子)
  • 「僕のお通夜の時には忘れずにあれ(モオツアルトのピアノ協奏曲27番、変ロ長調)をかけてくれよ、坊さんのお経よりもずっと供養になる」と一度ならず言われた。、、主人はゆっくりとしていて、どんな時にも慌てることはなかった。、、、「80歳まではやる仕事はちゃんと考えてあるんだ」とよく私に言った。(深田志げ子)
                                        • -

JR東日本での研修。90名。終了後の懇親会で、宮城大出身の女性から声をかけられた。仙台駅にいるとのことだ。私の講義を聞いたそうだ。嬉しいひとときだった。

                        • -

ソフトバンクでデザリングの申し込み。