先日、世田谷文学館で始まった「帰ってきた寺山修司」展をみた。この文学館らしいいい企画展示だった。
いくつか知らないこともわかった。
- 「短歌研究」編集長の中井英夫が茂吉などの短歌界の巨人が没した後にスターを探していて高校生の寺山を発見した。「チェホフ祭」を特選にした。「昭和の啄木」「もし長生きして名作曲家とコンビを組んだら、山田耕作と北原白秋のような国民的詩人になっただろう」。中井英夫に出した手紙が多く展示されていた。中井は名伯楽だった。
カルメン・マキの歌った「時には母のない子のように」や、尾藤イサオの歌った「あしたのジョー」も寺山の作詞である。
九条映子との結婚式の写真と披露宴の案内状。
発起人には、石原慎太郎、和田勉、谷川俊太郎、武満徹、大島渚、浅利慶太、篠田正浩などの名前が並んでいた。
寺山の俳句、短歌、言葉をさがす。
- 便所より青空見えて啄木忌
- 花電車どこへ押せども母貧し
- むせぶごとく萌ゆる雑木の林にて友よ多喜二の詩を口ずさめ
- 劣等感が人間を作る
- 恋は「傍線」をつけた書物以外の生活を教えてくれる
- 「友達は盗むもの」だから、盗めるような資質にこっちが啓発されるような男でなければならぬ。
- 「俳句はやっぱり「小さすぎ」ないだろうか。」
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山本健吉展もやっていたので覗く。
山本健吉(1907-1983年)は評論家。
代表作は、「私小説作家論」「古典と現代文学」「句歌歳時記」「猿の腰かけ」。
1983年に歳時記を編み続けたという業績に対し文化勲章を受賞している。週刊新潮の「句歌歳時記」というコラムは30年という長い連載となった。これは短歌二首、俳句四首をあげて論ずるもので小さな囲み記事だった。
以下、評論家論。
- 他人の座敷でのみ自分の精神生活を送るということの中に、批評家の宿命的な屈辱はあるのだ。
- 本当の批評家魂は千万言を費やして相手の欠陥を数え立てる時にでなく、感動のあまり絶句する時に現われる。
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