「現代語訳 文明論の概略」(福沢諭吉著。斎藤孝訳)

福沢諭吉の代表作「文明論の概略」の現代語訳(斎藤孝訳)を読了。

現代語訳 文明論之概略 (ちくま文庫)

現代語訳 文明論之概略 (ちくま文庫)

こなれた現代語訳なので、福沢の言わんとすることをよく理解できた。

福沢は封建時代の江戸時代と文明開化の明治時代の両方を身を持って知っているという得難い経験をしているので、人間精神の発達について述べるにのにふさわしいとして本書を書いた。
そしていずれ後世の学者が本当の「大文明論」を書いて欲しいと希望している。梅棹忠夫先生の「文明の生態史観」などはそれに対する答えの一つという意識で書かれたものだろうか。
高い見地から過去の歴史を見て、生きた目をもって未来を見通すことが必要だと言う通り、極めて示唆に富む名著である。以下、まとめ。

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物事は枝葉末節から離れて、大本にさかのぼって「議論の本位」を定めるべきだ。議論がかみ合わないのは、互いに極端を言うからだ。それではおさまりがつかなくなる。物事には長所と短所があり、両目で見なければならない。そうしたことを克服するために必要な有力な手段は人と人との交際である。利害得失を論じるには簡単だが、難しくまた大事なのは物事の軽重と是非を明らかにすることである。

西洋文明の事物については作ることも金で買うこともできるが、「文明の精神」はそうはいかない。文明の精神とは、人民の「気風」のことだ。一国の気風とは時勢と人心である。アジアとヨーロッパの違いの大きさは、この文明の精神によっている。

自由の気風は、「多事争論」の間にある。中国は独裁君主を仰いできたから思想が乏しくなった。日本は最高の地位の天皇と、最強の将軍がバランスをとっていたために、わずかながら思想が運動することができたのは幸運だった。
日本は国の始めから国体が変わったことはない。それは外国人に政権を奪われたことがないという一点が見事なことなのだ。したがって日本人の義務とはただこの国体を保つことにある。

文明は一大劇場のようなものであり、海のようなものである。文明とは人の身を安楽にして心を高尚にすることをいう。衣食を豊かにして人格を高めることをいう。

文明国になれるかなれないかは国全体に行きわたっている気風による。その気風は智徳のあらわれであり、それには時勢を考えることが必要だ。
孔子は時勢をしらなかった。楠木正成足利尊氏という時勢に敗れた。

智徳の徳とはモラル(恥じることがない)であり、智とはインテレクト(考えること)である。この二つを兼ね備えていなければ十全な人間とはいえない。
徳には、私徳(謙遜・律儀、、)と公徳(公正・公平、、)がある。
智には、私智(物事の理を定めてこれにしたがう)と公智(軽重大小を区別し、優先順位をつける働き)がある。
わが国で「徳」と言っているのは個人的な私智であり、受け身の徳であり、卑屈な我慢を勧めるものだ。
徳は内にあり、智は外にある。私徳の効能は狭く、智恵の働きは広い。徳については後世に進歩はないし、試験もできない。一方、人間の智恵は教育によって生じるもので無限に進歩する。

一向宗の信者は他力を求め何もしない。儒者は孔孟の書を読むだけ。和学者は古書を詮索しているだけ。洋学者はただ聖書を読んでいるだけだ。
宗教とともに、学問と技術を学ぶことで、わが国の文明の水準を高めることが重要だ。
日本には神道儒教仏教があり、徳は不足していない。智恵の獲得が優先すべきことだ。

時代と場所に応じて進歩することが大切だ。失敗はこの二つを間違ったものであり、成功はよく合ったものである。この二つを判断するのは難しいことである。

文明が発達し、智力が進んで「疑い」の精神が生じた。利を取り害を避ける工夫をするようになった。自力で解決できることが明らかになり、勇気が生じてくる。人民ンの智恵が増加すると君主の仁徳を輝かす余地がなくなった。
規則が増えていくのはやむを得ない。規則によって善人を保護するのだ。

文明における自由とは、他者の自由を犠牲にして実現すべきものではない。
権力は必ず堕落するし、権力の偏重はあまねくいきわたっている。日本の歴史は、日本政府の歴史があるだけだ。宗教や学問も独立してはいない。
儒教仏教も古を理想化した弊害を持っている。両者とも半ば政治に関する学問だった。要するに「気概」が不足しているのだ。その結果、物事を「やってみる」精神を失ってしまった。貧富や強弱は、人智によって左右できるのだ。

経済の第一原則は、財を蓄えるこお、そしてそれを消費することだ。蓄積と消費を盛大に行う国を「富国」という。第二の原則はその財にふさわしい経済的な智力と習慣が必要ということだ。財が乏しいのではなく、その財を運営する智力が乏しいのだ。いや、智力が上下に分断されているのが問題なのだ。

外国交際を盛んにすべきだ。これはわが国の一大難病だ。これを治療するのに頼みになるには自国の人民をおいてない。

国の独立を保つには、目的を定めて文明に進むしかない。独立とは偶然に独立している状態ではなく、独立すべき力があることを指す。
自国独立を掲げて内外の別を明らかにして民衆の進むべき道を示せば、それを基準として物事の軽重が決まってくる。

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