「出版は教育である」--大百科事典の「平凡社」をつくった下中弥三郎

箱根のパール下中記念館を先日訪問した。
パールは東京裁判で日本無罪論を展開したパール判事だが、「下中」とは誰か。
そしてその記念館と同じ敷地には、御堂、出版平和堂(碑文の代表は野間省二)や箱根聖道場(解体するとの張り紙あり)などの看板がある建物があり独特の雰囲気がある。これらは何か。

下中とは平凡社を創業した下中弥三郎(1878-1961年)のことだった。パール判事(1886-1967年)と深い親交を持った人物だ。この二人は兄弟の交わりをしている。
石の碑文には、二人の言葉が記されている。
パール「すべてのものをこえて、人間こそは真実である。この上のものはない」(ベンガル語
   「極東軍事裁判において法の真理を守りひとり毅然と税ン院無罪の理をあきらかにした」との解説もついている。
下中「世界連邦 平和の道 外はあらし 国人すべて ここにあつまれ」

出版平和堂は、出版関連13維持団体等によって維持・運営がなされ、お堂内には、日本の出版界を築き上げ、繁栄に導いた物故功労者の名前と功績が刻まれた銅の記銘板が掲げられている。ホームページでは第40回として岩波書店の岩波雄二郎(平成19年没)などの名前が見える。あかね書房、医歯薬出版社、清水書院新曜社、富士経済マネージメント、実教出版社などの版元関係、太平社など取次関係、そして高島書房、大阪教科書、新興社などの書店関係の経営者が祭られている。平成24年(第44回)では、東京書籍の鈴木和夫社長、講談社の野間佐知子社長などの名前がみえる。
出版界の靖国神社のようなものだろうか。
この平和堂日本出版クラブが建てた。そのクラブの初代会長が下中弥三郎だった。
箱根聖道場という建物も、やはり下中に関係するものであろう。

さて、下中弥三郎のことだ。
兵庫県生まれ。幼くして父を亡くし土地で腕の良い丹波焼きの陶工となる。神戸市雲中小学校bの代用教員となり小学校準教員検定試験に合格。190年上京。「児童新聞」「婦人新聞」の編集。1910年に中等教員検定試験に合格、埼玉県師範学校の嘱託教師。1914年、平凡社を設立し「ポケット顧問、や、此は便利だ」を発売。新しいことば、流行語、小字熟語などを集め、生活の役にたつ本であったので大いに売れた。平凡社という名前は「名前は平凡でも、やる仕事は非凡だ」と田中館愛橘博士が絶賛している。
1919年には教員組合である啓明会を結成、「教育改造の四綱領」を発表。啓明会はその後、日教組となって発展していく。1923年「教育の世紀社」設立。1931年から1935年にかけて「大百科事典」を出版。これは毎月1冊(5円)の出版だった。1000人以上の学者、1000人の編集者を動員。18万項目の大百科事典。預託だけで2万5千部。
1924年には自宅の庭を開放し「児童の村小学校」を設立し、自由な教育を実践する。ここから博士、作家、マスコミ人が育っていった。それは、小原国芳の玉川学園、赤井米吉の明星学園につながっていく。
「現代大衆文学全集」「世界美術全集」「新興文学全集」「社会思想全集」「大辞典」「国民百科事典」、、、。
そして講談社の「キング」に対抗する雑誌「平凡」を創刊する。それは「世界一おもしろい!世界一美しい!世界一ためになる!世界一安い!」というキャッチフレーズだった。
また、1930年頃からは国家社会主義者として新日本国民同盟を創設、1940年には大政翼賛会の発足に協力し、大日本興亜同盟の役員に就任。アジア各国の支援に奔走する。日本インドネシア協会、ガンジー教会も結成している。近衛内閣は弥三郎を文部大臣にしようとしたが断っている。
戦後4年間の公職追放を経て、1951年位は平凡社社長に復帰する。「世界大百科事典」を出版。こちらは32巻。
晩年は平和運動や世界連邦運動を推進している。ここでパール判事と親交を深めたのだ。

百科事典をつくった男・下中弥三郎は、「出版は教育である」という信念を持っていた。
教育者を志て教壇に立つが、その延長線上にもっと多くの人たちに影響を与える出版事業に邁進したというわけだ。
「心はころjころするものである。とどまるところがない。その姿が心である」。

1988年にアメリカで「日本の十人の教育者」という本が出版されている。福沢諭吉内村鑑三新島襄新渡戸稲造南原繁などと並んで下中弥三郎の名前があがっている。
教員時代の弥三郎の国語教育の目標は「本を読むことをすきにする。本を読んで考えるようにする」ということだった。出版で日本人全体の教壇に立ったのである。
国労働者の先頭に立ってメーデーを成功させる一方で、戦時には大政翼賛会に協力するなど、左から右までの活動を行っている。

ある分野の全体を鳥瞰的にわしづかみして全集という形で世の中に提供しようする姿勢は一貫している。
「出版は教育である」という信念を実現させた下中弥三郎の人生は、莫大なエネルギーに満ちている。大いなる人生であったとの感を深くする。

平和にかける虹―人間・下中弥三郎 (イワサキ・ライブラリー)

平和にかける虹―人間・下中弥三郎 (イワサキ・ライブラリー)

                                                          • -
  • 夜はマンション理事会。6月の総会に向けての準備が中心。