宮本常一「忘れられた日本人」--生活誌の方法論

宮本常一「忘れられた日本人」(岩波文庫)。

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

宮本常一(1907-1981年)は、1939年(32歳)以来、73歳で死に至るまで40年以上にわたって日本各地をくままく歩き、民間の伝承を克明に調査した民俗学者
伝承者としての老人たちの過ぎしてきた時代と環境を、老人たちの人生とからめて聞き書きという手法で描いた代表作品。
本人は、この本を「紙碑」であると言っている。

女たちの生態、村のしきたり、問題の解決の方法、夜這いや夜逃げ、世間師たちの話、など面白い話に満ちている。古老たちの語り口を上手に再現してる。

内容はもちろん面白いが、「あとがき」に自身で調査の方法を明らかにしているのが興味深い。

  • 1939年以来、日本全国を見ておきたいと思いつくままに各地を歩いた
  • 戦後故郷に帰って百姓になる。農閑期には戦前に世話になった仲間を訪ねて農業技術の伝達をした。あおのかたわら農村調査を行った。
  • ある地域をできるだけくわしく、しらみつぶしに見た。歩いて見て人に疑問を尋ねた。一つの部落の成立と存続の様子がわかる。
  • 同じ地方へ何回も出ていくことにつとめた。こういう生活が1952年(45歳)まで続く。
  • 1955年(48歳)から主として山村の調査に力を注ぐ。学会、調査会、官庁委託、仲間。
    • 目的の村を一通りまわりどういう村かを見る。
    • 役場で倉庫の中を見せて貰って明治以来の資料を調べる。
    • 役場の人に疑問な点を確かめる。
    • 森林組合、農協を訪ねて調べる。
    • 古文書があれば旧家を訪ねて必要なものを書き写す。
    • 何戸かの農家を選定して個別調査をする。一軒に半日。
    • 疑問点を心の中において、村の古老にあう。疑問から出発し、あとは自由に話してもらう。何を問題にしているかがわかる。
    • 主婦や若い者の仲間に会い、多人数の座談会形式で話を聞き、こちらも話す。

一番知りたいことは、今日の文化を築きあげてきた生産者のエネルギーが、どういう人間関係や環境の中から生まれ出てきたかということだ。

宮本常一の所属した渋沢敬三のアチック・ミューゼアムは、後に日本常民文化研究所となり、神奈川大学に吸収されて網野善彦(1928-2004年)の活動の場になる。網野は中世の職人や芸能民など、農民以外の非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにした。その系統の中に赤坂憲男の東北学もある。その網野は巻末で「解説」を担当している。
「旅する人」宮本常一民族誌を中心にした柳田国男民俗学に疑問を持ち、「生活誌」を大事にすべきであり、生活向上のテコになる技術をキメ細かく構造的に見ることが大切だとしている。客観的なデータを整理・分析する民族誌ではなく、民族採集の仕事は「生きた生活」をとらえることにある。実感を通して観察し、総合的にとらえる生活誌を重要視する。

宮本常一は、戦前から高度成長期まで日本各地を対象にフィールドワークを行って、1200軒以上の民家に宿泊して、膨大な記録を残している。
23歳の時に投稿した論文が柳田国男の目にとまる。そして3年後の25歳で生涯の師・渋沢敬三と出会い、4年後の32歳でアスチック・ミュジアムに入り、以後40年にわたって本格的な民族調査に没頭する。53歳で書いた代表作「忘れられた日本人」で脚光を浴びた。
54歳、文学博士号(東洋大)、「日本の離島」で日本エッセイスト・クラブ賞。58歳、武蔵野美大教授。59歳、日本観光文化研究所(現・旅の文化研究所)初代所長。

この人は日本を探検した人だ。

旅の文化研究所近畿日本ツーリスト日本橋
http://www.tabinobunka.com/
神奈川大学日本常民文化研究所
http://jominken.kanagawa-u.ac.jp/about/02.html

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プールで500メートル泳ぐ。