横浜で講演。帰りに慶応日吉キャンパスで藤山(雷太)会館を訪ねる

  • 横浜線中山で乗り換えてセンター駅北にあるコアネット教育総合研究所で講演。

私立の中高校に対する経営コンサルを主業務にしている研究所で、親企業は日能研。多摩大聖ヶ丘にも出入りしている。私学マネジメント協会というネットワークを持っている。業界の様子を取材する。

以下、アンケートから。
「自分の仕事と人生に活用。クライアント校に活用」「今まで見えなかったことが見えてきた。今後は納得してもらうように努力」「個性が表れる」「期待通りの内容。レジメも参考になった。定性データをいかに理解して次の行動につなげることができるか」「全体の構造と部分同士の関係を明確にして周囲を巻き込む」「ひきつけられた。関係性を考えることがリーダーの能力、が特に印象に残った。楽しく関連付けて人生を楽しくというメッセージ」「新たな気づき、発想。理解ととらえ方の差が明らかになるのに驚いた」「納得」「自分の会社について自分が全く図解できないことにびっくり。人生設計も含めて日々実践」「目からウロコでした」「ワークで非常に納得」「自然に頭が考える感覚が持てた」

  • 近所に記念館はないかと探したら慶応義塾大学日吉キャンパスにいくつか名前を冠した建物が見つかった。
    • 藤山記念館。藤山とは藤山雷太のこと。以前は図書館だったが、現在は理工系学部の学生たちの自習施設になっている。藤山雷太に関する資料は館内にはなかった。

「藤山雷太君像」と書かれた銅像の碑文は藤山雷太(1863−1938年)の撰。「藤山工業図書館由来記」。

「50余年工業に尽くしてきた。銀行・鉄道・保険・信託などの事業もやったが、主として芝浦製作所王子製紙、大日本精糖という工業会社を運営してきた。工業報国の志はこれでやむものではない。工業図書館を建設する計画を大正4年に作ったが、欧州の戦乱、関東大震災などのため遅れ、昭和2年に落成した。」という内容だ。

藤山(1863−1938年)は佐賀出身。庭の大樹に雷が落ちた日に生まれたことから雷太と名付けられた。慶応を出て長崎県議会議長時代に中上川彦次郎の知遇を得て縁戚に。三井銀行で活躍。渋沢栄一から推挙され大日本精糖社長。倒産寸前だった会社を2年で再建。藤山コンツェルンの基礎をつくった。外相だった藤山愛一郎は長男。「銀の匙」と言われた藤山愛一郎のことは記憶にある。その政治資金は雷太が築いたものだったのだ。箱根強羅の別荘は岡田茂が買い取った。それが神山荘だ。銅像は藤山愛一郎が日吉キャンパスに図書館を寄贈した時のものである。福沢諭吉以外の銅像は藤山雷太のみだそうだ。

    • 藤原洋記念ホール。こちらは音楽ホール。この人は誰だろうかと調べたらインターネット総合研究所の藤原洋社長だったのでびっくり。慶応創立150年事業に多大の支援があったことに感謝して命名された。この人は中部大学にも4億円という大きな寄付をして超伝導・持続可能エネリギー研究センターも設立している。