「吐鳳」の書(亀井南冥)を飾る--久恒吐鳳

子どもの頃から九州の実家の客間に2つの額がかかっていた。南には「吐鳳」(とほう)という亀井南冥(陳人)の見事な書だ。そして北には頭山満の大きな書があった。
大学生の頃、父親に「吐鳳」とはどういう意味か、と聞いたことがある。
「鳳(おおとり)を吐くという意味だ。中国の偉い文人がなかなか文章が書けなくて困っていたら、明け方に口から鳳が飛び立つ夢を見たという。そうしたら翌朝文章がスラスラ書けた、という故事からきている」との回答だった。
文章を書く人に「吐鳳」という文字は縁起がいいというので、いずれ私の号にしようと思ったことがある。
この亀井南冥は江戸時代の儒者筑前福岡藩医、甘とう館総裁。門下に日田の広瀬淡窓がいる。

北の果てに数千里ものからだを持つ「こん」という魚がおり、一旦海を飛びたてば、まるで大空をおおう雲のような数千里もの羽をした鳳に姿を変え、南の果ての海まで天を翔ける。「燕雀(ツバメ・スズメ)安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という諺の「鴻」(オオトリ)が鳳のことだ。大鵬も同じ意味。「鵠」はコウノトリで大きな鳥。史記に出てくる。

鳳凰は優れた天使が世に現れる兆しを示す空想の高貴な瑞鳥である。帝王の善政を称え天下の泰平をもたらす瑞鳥。鳥の王。蛇、魚、亀、鶏、龍などを組み合わせ。五彩を備えている。

父が亡くなくなりこの夏で13回忌になる。母に頼んで表装をしてもらった額が届いた。
開けてみるとなかなかいいものに仕上がっている。書斎に飾る。この書を眺めてみると、実家の座敷と父の思い出が甦ってくる。