映画「終戦のエンペラー」

映画「終戦のエンペラー」を観る。

8月6日の原爆投下シーンから始まるこの映画は、8月30日にマッカーサー連合国最高司令官が厚木飛行場にパイプをくわえて丸腰で降り立つシーンから動き始める。
マッカーサーの部下である日本文化の専門家ボナー・フェラーズ准将(49歳)はA級戦犯の逮捕を命じられる。
連合国は戦犯として天皇の裁判を望むが、マッカーサー天皇逮捕は日本国民の激しい反乱を招き、その後に共産主義者が入り込むことを恐れていた。フェラーズは天皇を戦犯リストから除外する理由を日本の指導者たちに訊ねるが、証拠がなかなか得られない。
「無実を示す証拠は皆無」という報告書を書きあげるが、深夜に元木戸内大臣が訪れる。
ポツダム宣言の受諾を巡って御前会議で意見が割れる中、天皇自身が降伏を受諾することを決め、玉音放送に踏み切る準備をする。千人の陸軍兵士が皇居を襲撃した経緯を語る。だがそのことを証明する記録はすべて焼却され、証人の多くは自決してしまっていた。

「戦争を始めたのが誰かは分からない。だが、戦争を終わせたのは天皇である。」これが推論だけの報告書であった。
マッカーサーの公邸を天皇が訪問する。
握手し、写真を撮った後、会談の冒頭で、天皇自身が次のような言葉を述べる。
「戦争の責任は国民にはなく、私個人にあり、どのような罰をも受ける。」
マッカーサーは感動する。

このクライマックスシーンは今まで読んだ多くの書物で紹介されていたので知ってはいたが感動して涙が出た。
マッカーサーの自伝でも自身が詳しく書いている。

玉音放送が記録された録音盤を巡る攻防の話も本で読んだことがあるが、やはり本当だったのだ。

明治維新西郷隆盛勝海舟が会談し、江戸が戦禍を免れるシーンを思い出した。
天皇戦争責任を問わずに、日本の再建に力を貸して欲しいというマッカーサーの決断は、難しい状況の中でよくできたと思う。

また、この映画ではニュージーランドで撮影されたという焦土と化した東京の惨状が胸を打った。
東日本大震災の東北の風景を彷彿とさせる。

ボナー・フェラーズは1971年に日米親善に尽くした功績で勲二等瑞宝章を受章している。

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夜は、明日が妻の誕生日なので、家族で食事会。