映画「少年H」

映画「少年H」。

少年H〈上巻〉 (新潮文庫)

少年H〈上巻〉 (新潮文庫)

1997年に発売され今日まで340万部(上下)を超えるベストセラーとなっている「少年H」。
英語版、台湾版、韓国版、中国語版も出版されている。
今年6月の第35回モスクワ国際映画祭(世界4大映画祭の一つ)で、この映画には特別作品賞が贈られている。

洋服屋の少年Hの父が神戸でユダヤ人の服の修繕をする場面があった。このユダヤ人一行は、リトアニア領事・杉原千畝が外務省の命令をきかずに発行した日本通過ビザで日本に入国した人々だった。ポーランドからリトアニアに逃げて、シベリア鉄道でソ連を経由してウラジオストックに到着。船で敦賀に入港し、神戸に移動・滞在していた。その後、アフリカのケープタウンを経て、砂漠を越えてパレスティナに向かうユダヤ人だった。杉原は独断で6000人のビザを発行したのだ。
少年Hはこの歴史的な場面に遭遇していた。
モスクワ映画祭での評価にはこの場面への共感も影響しているのではないだろうか。

原作の妹尾河童は1930年(昭和5年)生まれ。私の母と野田一夫先生が1927年生れだから3つほど年上になる。知研の八木さんも同年生まれでやはり天津の少年時代を書いている。
今読んでいる「ある昭和史」の著者・色川大吉が1925年生れであるから5歳年上だ。「15年戦争を生きる」の項での日本の戦前戦中の様子が描かれており、その記述を想いだしながらこの映画を観た。
また、今朝書いていた歴史の記述が、1938年から1941年の第二次世界大戦の勃発のあたりだから、この少年Hが生きた時代の背景を理解しながら観た。
監督の降旗康男は1934年生れで妹尾河童の4歳年下。「網走番外地」「あ・うん」「鉄道員(ぽっぽや)」などの作品がある。
戦争が背景にあるが、基本的には父と子の物語である。
一直線の子と、自分の意見を持ちながら建前と妥協してしぶとく生きていく父親の物語だ。

主演の父・水谷豊と母・伊藤蘭は本当の夫婦だったことを初めて知った。

神戸大空襲で町が焼かれるシーンが真に迫っていた。
セットを実際に燃やしたということだ。その後の焼け野原のシーンも迫力があった。

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