国立西洋美術館のミケランジェロ展

上野の国立西洋美術館ミケランジェロ展。

15歳から89歳まで芸術を創造し続けた天才・ミケランジェロ(1474−1564年)の軌跡。
彫刻家、建築家、画家、詩人、という多彩なジャンルで活躍したが、本人は「彫刻家」だと名乗っていた。
この人はまた手紙における模範的名文家でもあった。多数の助手を統率する能力にも長けていた。

自信家で傲慢であったが、人づきあいを避け質素な生活を送り、孤独を好んだ。必要以上の食べ物は摂らなかった。生涯独身だった。

深い教養と並はずれた洞察力をもって、構想に具体的な説得力あるかたちを与えた。また機知に富んでいた。
人間の肉体は神が与えたもっとも美しい創造物であると信じていた。
彫刻も絵画も「像をつくる」ことが目的であると述べていた。つくったものの大半は、人物の単独像や群像である。

この多作の天才は手紙で「貧乏と戦い、・・・・多くの悩みの中で一人孤独で・・・あまりに悩みが多いたに、芸術を作るよりそちらの方にとらわれています」と語ってもいる。肖像に描かれることは好まなかった。

ミケランジェロは、フィレンツエのサンタ・クローチェ聖堂で、ガレリオ・ガリレイ(イタリアの物理学者、天文学者、哲学者。天文学の父。地動説を唱えた。1564年-1642年)の向かいで眠っている。

死の直前に、大量の素描やスケッチ、原寸大の下絵などを焼き捨てた。制作に際しての労苦を知られることを望まなかった。試行錯誤している形跡を隠すためであった。ミケランジェロの素描は現存しているものは600余だが、「誰にも何も見せない」という強い意志で処分している。

15歳:階段の聖母。心がここにないように物思いにふけった母のまなざし。幼子の未来の受難の兆候に戸惑い。
29歳:ダビデ像
37歳:システィーナ礼拝堂天井画
60歳:クレオパトラ。左乳房の乳首の下を噛む毒蛇。
66歳:最後の審判システィーナ礼拝堂壁画)
88歳:キリストの磔刑