本を書く時代から、本を読む時代へ

必要があって、ブログに書いた読書記録をピックアップしている。
思いのほか量が多いのに自分でも驚いている。

本のテーマを巡ってみると、太平洋戦争・東京裁判に関する論考、外国の大統領や首相の自伝、日本の首相周辺の回顧録、出身地の偉人の関連本、すぐれた女性の自伝、新時代のあけぼの論、青春小説、対談集、特定の人物の評論集、俳人たちの伝記、古典の現代語訳、ベストセラー本、、、などである。

読書記録がブログに記されているのは、多摩大に転籍した2008年あたりからがほとんどだった。
どうも、宮城大時代は本を書くことにエネルギーと時間を取られていたが、このあたりから本を読むようになったらしい。
読書の記録として、自分の勉強のプロセスとして、学んだことの集大成として、貴重な資料となっていくだろう。

これを整理して一冊の本として手元に置きたいと思う。どういう方法があるだろうか。研究してみたい。
はてなダイヤリーでの印刷か、アマゾンのKDPか、PODか、、。
テーマごとに整理するか、時系列で並べるか、、。

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本日は仕事始めになった。
今取り組んでいる本の執筆を始めてみた。先はまだ遠いが少しすすんだ。とにかく一歩でも進まなければ終わらない。

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司馬遼太郎「故郷忘じがたく候」(文春文庫)を読了。

故郷忘じがたく候 (文春文庫)

故郷忘じがたく候 (文春文庫)

16世紀末の秀吉の朝鮮出兵で、薩摩軍によって日本へ拉致された数十人の朝鮮の民があった。
その後、400年にわたって望郷の念を抱きながら、朝鮮の苗字を維持したまま作陶の技術をもって異国の薩摩に旧士族として暮らし続けた「沈寿官」家の生き方を綴った物語。
朝鮮の特色である白を使って進化させた磁器は、白薩摩と呼ばれ、国内はもちろん海外でも貴重品として扱われた。大日本帝国最後の外務大臣東郷茂徳が、この村の出身で朝鮮姓は朴である。

ソウル大学での講演で、「これは申し上げていいかどうか」と前置きして次のように言っている。この言葉が日本人によって語られるとすれば聴衆は黙っていなかったかもしれない。
「それを言い過ぎることは若い韓国にとってどうであろう。言うことはよくても言いすぎるとなると、そのときの心情はすでに後ろむきである。あたらしい国家は前へ前へと進まなければならないというのに、この心情はどうであろう」
最後に、「あなた方が36年をいうなら」「私は370年をいわねばならない」と結んだ。重い言葉である。

このエッセイのようなミニ小説のような不思議な書物について、司馬遼太郎は次のよう語って、書き始めている。
「このことをまがりなりにも整理するには小説に書いてしずめてしまうよりほかはないが、しかしいま小説に書くには気持ちの酵熟が足らず、気持ちのなかから沸き立ってくるあわつぶがすこし多すぎるようにおもわれる。以下、なにをどこから書くべきであろう。」

興奮、疑問、感銘、、、こういったものを鎮めるために、司馬遼太郎は小説を書いていたということがわかった。整理して自分なりに納得できるようにする手段が小説を書く推進力だったのだ。