挿絵画家・岩田専太郎--「今日があるだけ」

文京区千駄木の住宅街にある「金土日館・岩田専太郎コレクション」を捜し当てて常設展を堪能。
1901年の浅草生まれだから20世紀の初年に生まれている。昭和天皇とディズニーと同い年だ。
1920年19歳で挿絵画家としてデビュー。以来、73歳で死去するまで、半世紀にわたって雑誌や新聞を舞台に活躍。25歳、吉川英治の「鳴門秘帖」(大阪毎日新聞)の挿絵で一流挿絵画家の地位をえる。
時代小説、探偵小説などあらゆるジャンルの挿絵を、時代に即した新鮮な感覚で描いた。この間、ずっと挿絵画家としてトップの地位を保った人生だった。

岩田専太郎が生涯に描いた挿絵は6万枚。親友の小説家・川口松太郎は「挿絵を描くために生まれてきたような男」と評している。
浮世絵の伝統を基礎に、時代の流行を敏感にとらえ、画風を変化させていった。
大胆な遠近法、装飾的な画面構成、映画のアングルやクローズアップの手法、新しい印刷技術ん織先取りなどを採用した「専太郎調」といわれる独自のスタイルを確立した。
義太夫の太夫は小説家、三味線は挿絵画家という関係という見立てがある。

図案家、画家、印刷図案家、日本画家と師匠を変えながら、18歳で単身上京。
戦争で無一文になった専太郎は、俳優の長谷川一夫の居候になり、3年間を過ごす。

新聞、雑誌、ポスター、レコードジャケットなど夥しい作品がある。

吉川英治の「鳴門秘帖」。大仏次郎の「赤穂浪士」。小島政二郎んお「花咲く樹」。
火野葦平「青春発掘」。冨田常雄「処女峰」。船橋聖一「夜のリボン」。小島政二郎「甘肌」。
司馬遼太郎竜馬がゆく」。司馬遼太郎「世に棲む日々」。吉行淳之介「裸の匂い」。
松本清張西海道談奇」。山岡荘八徳川家康」。
映画ポスター「木枯し紋次郎」。レコードジャケット「森進一・無情の夢」。日吉ミミ「失恋」

「専太郎美人」という言葉があるほど、生涯にわたって美人女性を描き続けた。
「一日5人。3万数千人の女がいつのまにかできる」
「絵はかくもんじゃない。生まれるものだ。どんな子が生まれるか。」
「きのうは過ぎ去ってもうない。あすはまだ来ない。今日があるだけ」
「挿絵画家には椅子が用意されていない。現役であることが位置であり、第一線から下ると、座る椅子は取り上げられてしまう」

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娘が女の子を生んだ。
8時46分。3026g。51センチ。
真夜中から陣痛が始まって病院との間を2回往復することになった。
日曜日だったので、こちらの家族と婿側の家族も揃って大騒ぎの一日となった。
また、新しい体験が始まる。