本日の「朝日歌壇」に母の歌を発見

人麻呂の歌碑訪ひ来たる奈多の海ゆ伊方原発遠く光る見ゆ
中津市・久恒啓子)

本日の朝日新聞の「朝日歌壇」に母の歌を発見。
奈多海岸の人麻呂の歌碑は一緒に行ったし、四国の伊方原発宇和島別府の船の中で見たから、この情景はよく理解できる。この歌を採った選者の心にも響いたのだろう。

「朝日歌壇」は、1910年、石川啄木を選者として始まった。1970年(昭和45年)から、代表的歌人4人がそれぞれの視点で投稿から秀作を選び解釈や評価を記す。この歌については選者の高野公彦が「奈多(国東半島の南部)から見る白い異物」という言葉を加えている。

自分の立っている九州の一角と遠くに見える四国の岬の突端にある原発。そして柿本人麻呂の時代と現代のシンクロ。この地理感覚と歴史感覚の交合、そして原発という大きく不気味なテーマと向き合っているという時代感覚がこの歌のポイントだと思う。
母に電話をすると、朝日歌壇に採られたのは三度目という。

2011年02月の朝日歌壇には、以下の歌が載っている。
 原爆に遭いしピアノの傍らに従姉坐れり老女となりて
  (中津市) 久恒啓子

この歌は仙台和泉区の高森に住む従姉が、広島で原爆に遭ったピアノを大事に持っていて、そのことが話題になった新聞記事を見た時に作った歌だ。私も実物を見ている。3・11の東日本大震災の直前の時期でもある。相当に被害を受けたと来ているが、あのピアノはどうなっただろうか。

今回は原発の歌だが、これは原爆の歌だ。原爆と原発は背中合わせの科学技術であるが、その二つの歌が朝日歌壇に採られたのは興味深い。

                                                              • -

2004年12月18日には大岡信の「折々のうた」でも採られている。

十年余の看とり辛からむと友は言ふ
独りになるはもっと恐ろし
          久恒啓子

『「風あり今日は』(平十六)所収。十年
余の看病とあるが、作者によると昭和六十
二年に夫が脳出欠、症状が意外に重く、右
片麻痺失語症となった。以来十五年間、
看病の明け暮れだっという。その間、子供
たちの協力で一年に一度、国内外を旅行し
てストレスを解消したという。その夫も亡
くなり、三回忌をすませた。この辺で「前
向きに歩き出そう」と、この歌集を編んだ
という。右は闘病中の歌。健気な妻の本音。
    大岡 信