野見山暁治-描いていると少しづつ描きたかったものがみえてくる

昨日、ホテル・ニューオータニ美術館で「野見山暁治展」を観てきた。
そして本日のNHK日曜美術館は、その野見山暁治の特集だった。

画家の野見山は今年93歳。今も毎日練馬のアトリエで絵を描いている。また、福岡県の糸島にあるアトリエでも過ごしているようだ。
最初の妻の陽子さんはパリ留学中に亡くなり、二度目の京子さんは2001年に亡くなっている。独り身はもう13年になる。

23歳で渡仏。12年間をパリで過ごし帰国。
47歳、東京芸大助教授。51歳、教授。
57歳、「四百字のデッサン」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。
79歳、文化功労者。84歳、菊池寛賞

目に触れる作品は公共施設のステンドグラスだ。抽象画のような具象画のような作品。
2008年に東京メトロ副都心線明治神宮前駅に飾られた《いつかは会える》。
2011年にJR博多駅に飾られた《海の向こうから》
2013年に福岡空港国際線ターミナルに飾られた《そらの港》

この画家は文章がうまい。「絵も描くのか」と言われたり、「どうして文章のような絵を描かないのか」と言われたりしているのが、おかしい。

  • 描いていると少しづつ描きたかったものがみえてくる。
  • 毎日、毎日、これじゃないよな。わからない、何かがある。
  • 美しい自然の中にある魔性のものをつかまないと。
  • 常にえい児の如くあれ。
  • 色はてんでに少し主張しすぎるようだ。形はどんなに虚勢を張っても慎ましやかだ。おのれの限度を知っている。
  • 男はぼくの絵に戸惑う。、、、女のひとはよく出来たもので、モチーフについてつまらぬ詮索はしない。
  • ぼくたちにミューズの神はいるのだろうか。、、、いったいエカキとは何なのか。画面に向かっていることが、取りも直さずその疑問を問いつめていることであり、生涯問いつめてゆくその所業を、そうした人間の在りようをエカキと称んでいいのではないかとぼくは思っている。
  • 絵描きが「考える」ということは、画面に向かって手を動かすことだ、という気がする。
  • ぼくにとって、絵とは心情を吐きだすもの、生身の自分を晒すことだった。
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書いている本の校閲をしている。
調べることも多く、ほぼ一日中、この作業にかかっていた。
テレビの朝の日曜美術館や、夕刻のBSの「黒田官兵衛」を観ながら、ずっと作業をしていた。期限までに終わるのか、不安があるがやるしかない。