「支倉常長と南蛮美術」展

先日、上野の国立博物館本館で開催中の「支倉常長と南蛮美術」展を観てきた。
支倉が乗ったサンファンバウテスタ号は、1613年10月宮城県石巻の月浦を出港し、太平洋、メキシコ、大西洋を経て、スペインのマドリードで国王フェリペ3世、イタリア・ローマで教皇パウロ5世に謁見。目的はメキシコとの交易をスペインに認めてもらうことだったが、それは果たせなかった。3年滞在し、帰路はフィリピン、長崎経由で1620年に仙台に戻った。

イタリア人画家、アルキータ・リッチの手になる「支倉常長像」は、45歳の常長が貴族として描かれている。
装束の中心モチーフは、秋をあらわす鹿と薄である。
足元に描かれている位には、西洋画では忠誠や忠義をあらわす。
窓にみえる巨大な帆船には伊達家の「九曜紋」、支倉家の「逆卍に違い矢」が描かれている。

22日の日経朝刊では、慶長遣欧使節の30年前の天正遣欧少年使節の一人伊東マンショ肖像画が発見されたという記事が載っている。
1585年にローマ法王グレゴリウス13世に謁見し、90年に帰国している。

支倉常長も、4人の少年使節も帰国後は恵まれなかった。遠藤周作の「侍」をもう一度読みたい。