宇都宮靖「鳶の笛--黒田官兵衛と宇都宮一族との戦い」(中津市監修)

宇都宮靖「鳶の笛--黒田官兵衛と宇都宮一族との戦い」(大分県中津市監修・梓書院)を読了。

鳶の笛 黒田官兵衛と宇都宮一族との戦い

鳶の笛 黒田官兵衛と宇都宮一族との戦い

中津の黒田官兵衛資料館で購入した本。母の「邪馬台」同人仲間であった宇都宮先生の著書である。
官兵衛は謀をもって宇都宮一族を滅ぼし、豊前の領主となった。この宇都宮一族の末裔がこの著者だ。

秀吉の九州征伐に官兵衛は軍艦として参戦し平定する。
秀吉は官兵衛に豊前国を賜った。この豊前には鎌倉時代から400年にわたりこの地を治めてきた宇都宮一族がおり、その代表が宇都宮鎮房であった。
宇都宮は四国今治に12万国賜ったが、最終的に秀吉の命に従わず、一揆を起こす。
官兵衛の子の黒田長政は官兵衛不在のまま、この一揆と戦うが手痛い敗戦をする。
官兵衛は秀吉により「奸計をもって謀を考えよ」との下知を受ける。宇都宮との講和をはかり長政と鶴姫との縁組を企画した。
その祝宴のため、宇都宮一行は一部を合元寺に残し、中津城内に15人程が入った。
その酒宴中に黒田方の野村太郎兵衛が宇都宮鎮房に斬りかかった。長政は刀を抜き切りつけた。
場内は乱戦となった。合元寺まで逃れた侍たちは、黒田方に切り殺された。この血はこの寺の壁に飛び散り、何度塗り替えても血がにじみ出てくる。
そこで赤く塗られた。この合元寺は赤壁寺の別名がある。豊前地方誌によると、合計20名が死んでいる。子の朝房も肥後で殺害されている。

宇都宮氏は深く地方の民心を得ていた。人々は異口同音に黒田氏を恨みその家の断絶を祈った。その呪詛の祭りは福沢諭吉の時代まで200年以上、1年も欠かさず行われた。
百年規模の祭りは大規模で、明治年間に300年祭、1982年(昭和62年)には鎮房の400年祭と遠祖信房の800年祭が同時開催された。
黒田家では、長政のひ孫の後には後継男子が生れず養子に頼った。また6代連続で後継者が若死にするなど、黒田家に後嗣が生まれることはなかった。人々は祟りだとうわさした。

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宇都宮靖
1926年生。中津市生。大分師範学校卒。中津市立豊田小学校校長などを歴任。「邪馬台」編集委員。剣道七段。俳人。随筆、小説も書いた。

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「14代酒井田柿右衛門JR九州の豪華列車」「同時通訳・永井鞠子(プロフェッショナル仕事の流儀)」「ペントハウスの住人」などの番組を楽しんだ。