「栄西と建仁寺」展

上野の国立博物館で開催中の「栄西建仁寺」展をみてきた。
子供の日は上野の動物園が無料なので、子供連れが多い。

国立博物館では「キメラ古墳」の展示もやっていて、そちらには長い行列ができていた。

臨済宗の開祖栄西と(ようさい)は、1141年に備前岡山に生まれ、1215年に亡くなっている。75歳だった。今年は没後800年になる。

13歳で当時の総合大学であった比叡山に入山し天台密教を学ぶ。
28歳で、宋時代の中国に渡る。
47歳、再び宋に渡り、天竺を目指すが、西域ではモンゴル族の元が勃興し治安が悪く、許可が降りなかった。宋には4年滞在し、禅を学ぶ。

帰国後は九州の博多で布教を開始する。
55歳、博多で聖人福寺を開く。
60歳、北条政子の援助で、鎌倉に寿福寺を開基。
62歳、京都に建仁寺を開く。この寺は天台、密教、禅の兼修の総合仏教寺院であった。ここでは曹洞宗の開祖道元栄西の言葉に耳を傾けている。建仁寺京都五山の第三位であった。この寺には人材が多く出ている。11代蘭渓道隆の時に、正式な禅寺になった。42代中巌円月は元にに留学している。1467年から10年間続いた応仁の乱でこの寺も荒廃する。再興は安国寺恵瓊が1599年に本坊方丈を再建しなる。安国寺恵瓊は毛利家の外交僧で、後に豊臣家に仕えた。謀反に倒れた信長を「たかころび」と予言したことでも有名だ。白隠(1685〜1768)は臨済宗中興の祖である。
66歳、東大寺再建の勧進職。
71歳、茶の湯の専門書「喫茶養生記」を書き、茶祖となる。その後、千利休茶の湯を完成させる。茶は養生、長寿、そして」座禅の眠気をさます効果があった。

60歳歳代に花開き、83歳の長寿を全うしたは海北友松の雲龍図は迫力があった。

俵屋宗達風神雷神図屏風が耳目を引いていた。18世紀に同じモチーフを扱った尾形光琳の絵と比べる企画だった。宗達は四角の縁取りの中に描いたが、風神雷神を囲むものははみ出した形をしている。一方の光琳は縁取りをはずしている。この勝負はどちらに軍配を挙げたらいいか。