「シュリーマン旅行記 清国・日本」-横浜・八王子・江戸

シュリーマンシュリーマン旅行記 清国・日本」(講談社学術文庫)。

シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

1865年6月1日から7月4日までの約一ヶ月間、トロイの発掘で著名なシュリーマン(1822−1890)は日本に滞在した。
明治維新の3年前である。

シュリーマンは大商人となったが、41歳ですべての商業活動を停止し、少年時代からの夢であったトロイの発掘の準備にかかる。
このためまず43歳で世界漫遊の旅に出る。この旅行記がこの処女作「シナと日本」である。
44歳、パリで考古学を学ぶ。46歳、博士号を取得、ギリシャ・トルコ旅行。47歳、アテナイデ二度目の結婚、「シナと日本」をパリで刊行。
そして49歳でトロイアを発掘。54歳、ミケナイ発掘。59歳、シュリーマンの館完成、トロイアの発掘品をドイツに寄贈。62歳、ティリマチス発掘。63歳、エジプト旅行。67歳、トロイアで第1回国際会議。68歳、ナポリで急死。

シュリーマンは館の書斎には多くの格言を掲げていた。ソクラテスも同様であったそうだ。自分に言い聞かせていた言葉だろうか。
「汝自身を知れ」「精神の浄化」「何事も中庸が肝心である」「教養がないということは深刻な問題である」「勉学は非常に重要である」「何事も適切な時に行うべきである」「休養は次の仕事に大切。しかし寝すぎないように」「よい子はよい家庭で育つ」。

健康第一であったシュリーマンは海水浴を唯一の健康法と信じ、夏は早朝4時、秋と冬も5時の水浴を欠かさなかった。そのために耳疾を悪化させ命を落としている。

この尊敬すべき人物が八王子を旅している。6月18日から20日である。原町田と八王子はいずれも当時の人口は2万。
八王子は絹の生産地で手工芸の町として有名であった。前方には常に富士山が見えていた。
休憩した豊顕寺では境内の秩序と清潔さに心を打たれている。中国のごてごてと飾り立てた不潔で退廃的な寺とは違った。そして親切で清潔な僧侶にも感心している。シナの坊主の無礼、尊大、下劣とは違った。

シュリーマンは「世界の他の地域と好対照をなしていることは何一つ書きもらすまいと思っている私」と自分を心構えを述べている。
日本では庶民も、日本男児は心づけ(賄賂)につられて義務をないがしろにしないことに感心している。また役人は最大の侮辱は現金を贈られることであり、受け取るくらいなら切腹を選ぶと驚いている。
「日本人はみんな園芸愛好家である」
「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない」
「平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」
「工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達している。、、教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。」

シュリーマンの奇跡的な人生には興味が湧く。