「知研フォーラム326号」--日本型グローバル人材の条件

「知研フォーラム326号」が届く。

この雑誌には、昨年のリレー講座での私の講演「日本型グローバル人材の条件」が載っている。
少し長いが、最近の活動の集大成でもあるので、ここに再録する。

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このリレー講座は2008年から始まりました。私は2008年から多摩大学に来ていますが、その年の春学期に行われたリレー講座の第2回目、寺島学長の次の回に1度お話をしています。そのときのテーマは「現代世界のつかまえ方−図解思考のすすめ」というものでした。その後5年経ち、大学自体のテーマも変わってきました。今は「グローバル人材をどう輩出するか」ということですね。そして、私自身のテーマもだいぶ広がりと深みを帯びてきています。今日は、その5年間の成果を発表する意味でお話したいと思っています。

私は図?にありますように、このようなホームページを作っております。これは図解web、図解ホームページといいます。下に教育と研究があって、それに上に社会貢献があります。教育と研究を土台に社会貢献をしているという図になっています。それぞれどこをクリックしてもいろいろな図がたくさん出てきます。一度このホームページに入り込みますと、半日ぐらい出てこられないという人もいるぐらい、たくさんのデータが入っております。私自身の小学校の通知表や絵日記も入っていますし、ゴルフのスコア表も全部入っています。ここを私のお墓にしようと思っています(笑)。このような「図解web」を作っています。
私はご紹介にあったように、日本航空に20年ほど仕事をしました。そのときにサラリーマンをしながら本を書いていたのですが、その本がきっかけで野田一夫先生から招かれまして、宮城大学に行きました。私と寺島実郎さんは30年来の友人なのですが、5年前、寺島さんが多摩大学の学長になるというので、それを助けに来たというわけです。

私は2002年に「図で考える人は仕事ができる」という本を日本経済新聞社から出しました。この本が話題になり、その後私の人生は一変しております。様々な講演や研修、本の執筆の依頼がありました。私はその流れに身を委ねてやってきました。その結果、多くの現場を見ることができました。例えば、タテで言いますと、中央省庁、県庁、市役所、町村の村役場までという行政の線です。もう一つは、ヨコですが、トヨタ、日産、キヤノンのような大きな会社から、製薬企業、そしてパチンコ業界のコンサルティングまでやりました。
このように10年ほどやってみて気がついたことがあります。それは何かというと、日本の課題はただ1点だということです。私が講演や研修で行きますと、必ず人事担当者か経営者の方と会います。皆さん異口同音に「我が社には考える社員がいない」と嘆いているのです。社長の言うことをオウム返しに言うことは出来るが、自らの力で問題を解決する人がいないので困っている、と言っているのです。どこでも同じ悩みなんですね。トヨタや日産のような会社も、基本的には同じ悩みでした。私はこの過程で「考える力の欠如が日本の一番大きな病原である」と思うようになりました。これは、文章と箇条書きを中心としたコミュニケーションのスタイルをとっていることが元凶であると考えています。
仕事の場面では文章を書けるかどうかが勝負になりますが、実は文章というのは本人がわかっていなくても書けるというところがあります。そしてわかったふりができるということもありますね。そういったものを中心に社内のコミュニケーションが行われているのではないかということです。
箇条書きにも問題があります。箇条書きとはただ単に項目を挙げているに過ぎません。A、B、Cと並べますが、実際にはAとBとCには大小があります。それぞれの大きさが違います。あるいは重なりもあります。因果関係もあります。箇条書きとは、こういったことがわからないままにあげてあるだけなのです。箇条書きは項目を挙げているに過ぎないのです。重要なことは、それらの関係を考えて、どう組み上げるかなのです。箇条書きの場合は、項目を挙げればもう終わりです。これでは、ものを考える力が失せてしまいます。このやり方で千年以上やってきたので考える力がなくなってきたのではないか。これが企画力や構想力、創造力の欠如につながっているのではないのでしょうか。図解を用いればこういった問題は解決できるのです。
図解とは地図です。どこに行っても地図があればわかりますよね。現場を見てもわかりません。山に行って現場を見てもどこにいるのかはわかりません。しかし地図があればわかる。情報や仕事の分野で同じような地図がないでしょうか。それがないから私たちは迷っているんです。図解というのは全体を見る力がつく、そして部分同士の関係が明らかになって、常に関係を考えるようになるということが、非常に重要な点です。

私は、日本人のアタマの革命とココロの革命をやろうと思って取り組んでいます。アタマの革命というのは、文章で凝り固まったアタマを柔らかくして、図を使いながら柔軟に物事の全体像を見ていこう、というものです。
ココロの革命には、10年ほど前から取り組んでいます。日本には様々な偉人がいます。偉人を顕彰した記念館はわかっているだけでも千館を遙かに超えています。多摩にもたくさんあります。聖蹟記念館は明治天皇の記念館ですし、日野には新撰組関係者の記念館があります。これを巡ってみようと考えたのが2005年です。私の田舎である、大分県中津市福沢諭吉の生まれ故郷で、2005年の1月にそこに行った時から始めました。おもしろいので、年間50館から70館ほど行っています。平均すると毎週1館のペースですね。現在の時点で580館を超えています。わかったことは、日本人の学ぶべき人物像がここにあるということでした。特に明治以降の近代の人物中心に回っているのですが、日本人にはすばらしい人がいることがわかります。このすばらしい人物たちを広く紹介する。これをココロの革命と呼んでます。私のライフワークは「アタマの革命」と「ココロの革命」で、この2つを軸に授業も行っています。

現在「グローバル人材」が求められているということは、教育界、産業界、マスコミ…、みんな言っています。ところが具体的にグローバル人材とは何なのかについて、なかなか答えがなく、問題の指摘だらけです。私なりの一つの答えを出そうと思い、今日のお話をしたいと考えています。
最近のいろいろな方が言っていることを挙げてみましょう。例えば、経済界の三井住友銀行の人は「異文化を理解し、英語で自己表現が出来て、世界でリーダーシップを発揮できる人材」と言っています。東京外語大学の学長だった亀山さんはそれに加え「ナショナルアイデンティティ」「創造的な自己表現力」「英語だけで足りるかという根本問題」「教養に目を向けよう」「人間力が大切だ」。文部科学大臣の下村さんは「英語だけではなくリーダーシップと企画創造力、人間的な感性」、文部科学省審議官の板東久美子さんは「英語、主体性、積極性、チャレンジ精神、協調性、柔軟性」、池上彰さんは「自分の意見が言えること」「伝統文化や歴史を学ぶこと」「自分の意見や教養など語るべき事を持つこと」「教養の力こそが人間力」と仰っています。要するに、ばらばらですね。そして抽象的すぎます。この議論は深まっていないのではないかと思います。納得性の高い説明がないことと、要求が高く多すぎるため、なかなかそういった人材になれないのではないかと思ってしまいます。
私は、「多国籍の様々な人たちによるプロジェクトをマネジメントしながら、それを成功に導く能力を備えた人材」だろうと、おおざっぱにとらえていいのではないかと思います。
さて、日本能率協会マネジメントセンターという通信教育の大手会社があります。この会社から「グローバルリーダーコース」を設けたいがなかなかうまくいかない」と相談がありました。従来のやり方ではなく思い切ったやり方をしてみようということで、私と組んで作ることにしました。その制作に半年間費やしまして、このたびようやく完成しました。7月から販売に入っていますが、既にトップの運輸会社が採用したり、トヨタ系の部品会社が管理職教育に使ったりしています。今日はこの「グローバルリーダーコース」の考え方についてお話したいと思います。

眼目は3つあります。まず、欧米中心のグローバルリズムであったのではないかということが一つ目です。このリレー講座でもずっと話があったように、アジア・ユーラシアダイナミズムを展望した、アジアに関する深い理解が前提条件であるということです。
それから2番目ですが、英語だけで足りるのかという問題があります。この問題について、私はこれまでの議論とは違い、「もちろん英語もいるでしょうが、もっと使い勝手のいいものがある。それは図解だ。」と主張しています。図というのは全体像が見え、部分同士の関係がわかります。例えば、図の中には様々なキーワードが並んでいます。ここを英語に変える、中国語に変える。これだけで通用するのです。中国や韓国で講演するときには、私の作った図を元に、言葉の部分だけを中国語やハングルに変えていますが、それだけでコミュニケーションがうまくとれます。日本人が発明した図解を使ってグローバルの荒波に入っていくべきである、ということが二点目です。
もう一つは、コスモポリタンとか世界市民ではなく、我々が望んでいるのは、日本型のグローバル人材です。それは何なのでしょう。真の日本人になるべきであるということです。私たちは明治以降、または戦後、日本人としての矜持を失ってきた嫌いがあります。これを、もう一度日本人のあるべき姿に戻したらいいのではないかと考えています。「ナショナルアイデンティティ」「教養」「人間力」とは何かというと、これは日本人が培ってきた「人間としての生き方」の問題ではないでしょうか。
従って、この3つがうまく備わればグローバルな舞台でリーダーになれるのではないか。

さて、現在のアジア・ユーラシアをどうつかむかについてです。これは寺島学長がこの5〜6年間リレー講座をやってきた中で、皆さんもよく聞いていると思います。今日はおさらいも含めて、どういう風になっているのかということを図で示したいと思います。
まず1ページ目。これは今から16年前になる1998年の中央公論に書いた論文がありました。その論文が大変よかったので、図にしてみました。タイトルは「グローバリズムの受容と超克」(図?)という難しいものでした。その論文によると、グローバリズムとは「ヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に移動することである」。この図の左側はアメリカです。アメリカは米国流の考え方をグローバルスタンダードと称して、政治的にはデモクラシーを、経済的には市場主義を標榜してきました。しかし問題点もたくさんありました。それは貧富の差の拡大や寡占、米国支配です。この図の右側はヨーロッパです。当時、ヨーロッパは社会政策重視ということで、まだグローバリズムとは一線を画していました。EUは15カ国ありました。今は28カ国ですね。ほとんどの国に社会主義政党が参画していました。英国労働党、フランス左翼連合などです。ではアジアはどうなっていたのか。アジアは大混乱していました。1997年、タイのバーツ危機を覚えていらっしゃいますでしょうか。グローバリズムに参加して、逆襲されて、国が倒れた。では、日本はどうしたらいいのか。寺島さんは、グローバリズムをしなやかに選別的に受け入れて、日本人のいいところを大切にして、自尊心を持って超えようではないか、と言っています。日本の良さとは、分配の公平化と平和主義の浸透です。外交は非核平和主義で、内政は社会政策を重視したらいい。社会政策というのは雇用・分配・福祉・環境ですね。従って日本は、社会政策重視した非核・軽武装経済国家を目指すべきである。これが寺島実郎の16年前の日本の国家戦略でした。ほぼ、この方向でずっときたのではないかと思われます。
16年経ちましてどうなったのでしょうか。図?は2008年に作成した図を修正したものです。日本が下にあって、アメリカは上にあります。アメリカは左にあるように、2000年には日本との貿易シェアは20%だった。それが16.1%、11.9%と落ちています。そして尖閣問題があったために、若干浮上し、2012年には12.8%です。日本との貿易は案外少ないですね。今年度の2013年上期は、14.4%と上がってきています。アメリカは危機感を覚えて、TPPでがんばってきている。今、アメリカが買うものは、航空機と食料しかないと言われていますが、いろいろなものを買ってくれということで、TPPをやっているわけです。中国はどうでしょう。中国は2007年にはじめて、日本の貿易シェアでアメリカを超えました。これがだんだん増えていまして、一昨年20%になりましたが、2012年は19.7%まで落ち込みました。しかし依然として、アメリカより遙かに大きな貿易量なんです。なぜ中国だけが社会主義国で発展を続けているのかという疑問がありますが、これについての寺島さんの答えは「陸の中国を中心に、シンガポール・香港・台湾、という海の中国をネットワークしているために活性化している」というものでした。これが大中華圏です。大中華圏は3割近い日本とのシェアです。アジアは49.2%となっており、5割近くがアジアになっているということです。もう一方でASEANが左にあります。ASEANGDPが2兆ドルぐらいですが、ここは経済が伸びている地域です。
この図は毎年変化します。変化する時に図で示さなければならないのはなぜでしょうか。アメリカが大きくなるとアメリカを大きくする、中国が小さくなると中国を小さくする、と部分を変化させることが出来るのが図です。部分を変化させながら、全体を変えていく。世界の構造が変わったときには、その構造の全体に部分を位置づけていくのです。この1枚があれば世界観ができてくる、ということですね。学校教育で大事なことは、日本を巡る世界観を教えることではないでしょうか。あとは、就職をすれば現場があるだけです。私は昨日、JR東日本で講演をしてきました。JR東日本は鉄道ですから、鉄道から見たらパーセントが変わってきます。そういったものが、自分のリアリティーであり、自分の専門になるのです。

では、韓国で説明するときはどうなるのかということが次のページになります。多摩大学の趙先生に作っていただいたハングルの図(図?)です。韓国で説明するときはこれで通じるということでした。さらに次のページは中国ですね。一番上に「美国」と書いてありますが、これがアメリカです。なんとなくわかりますよね。英語で説明する場合、英語が堪能ではなくても、キーワードは専門用語ですから大体どこでも同じです。あとは「and」「but」「for」「or」「so」とつないでいけばいいのです。少々下手な英語でも大丈夫であると私は考えています。

大中華圏についてお話します。この大中華圏も寺島さんの言葉ですね。中国があって、シンガポール・台湾・香港が周りにあります。中国は、台湾とは自由貿易協定を締結していますし、シンガポールは大発展を遂げています。1965年にリー・クアンユーたちが独立しました。10年ごとに大戦略を立てて、全部実行し、すべて成功させています。10年ごとにコンピュータや金融、IT、バイオ、カジノなどと変えてきているのです。こういった国家戦略を採りながら成長しているのです。これを見ながら様々な物事や事実を位置づけていけばいいのではないかと思います。
私も様々なところから講演に呼ばれておりますが、JICA(国際協力機構)にも呼ばれています。これは日本が誇る国際協力の大組織です。そこで5年ほど「国際協力人材研修」を行っています。JICAは困っていることがありました。海外派遣で水や保健、教育などについての専門家を派遣することがあるそうです。ところが専門知識はあるけれどコミュニケーションがうまくとれない。どうしたらいいのかという悩みでした。そこで図解研修をやることとなり、5年ほど行いました。その過程で、JICAが何を考え、どんな人材を育てようとしているかがわかりましたので、ご紹介いたします。
JICAのビジョンと使命について4つあります。これは文章ですからよくわかりません。そこで、私が作った図が次のページになります。グローバル化に伴って途上国に課題がある。それはガバナンスの改善、不公正な成長、人間の安全保障など様々である。JICAはここに資金や技術、人材で協力していく。制度と人材をヘルプし、持続的な貧困をなくし、人間の保護し、自立を果たさせる。…ということになります。「このように書いてはどうですか」と聞くと「その通りですね」との答えでした。JICAの組織は欧米の模倣です。だからだめなんだと私は言っているのです。そうではなくて、もっとわかりやすく書かなければだめだと言っているのです。
次のページでは、JICAのいう国際協力人材とは何かという定義があり、6つほど書いてあります。またこれもなかなかよくわからないので、私が作ったのが次のページです。9ページの図は私の意見も加えたものです。真中にある「専門能力」「問題解決力」はJICAの言葉を使っています。知識は学校で学び、専門としては分野と地域だということでした。JICAの研修で抜けているものがありました。一つは一番下にあります。日本人としての人間力の研修はありません。もう一つは、一番上の問題解決力の中の企画力に関する研修がありませんでした。私は、図解の研修を通してここの部分をやりますと宣言をしました。
先ほど申し上げました、真の日本人になるべきだというのは一番下です。それから、問題解決にあたって、相手とコミュニケーションができなければ解決はできません。それは英語や言質の言葉でできるのでしょうか。そこで図を使いましょう、ということなのです。そして、これを日本型グローバル人材(図?)と言えばいいのではないか、と私は思っているのです。
この研修を5〜6年続けて来ました。ザンビアなど様々なところから、報告があります。ザンビアでは図を使えてうまくいった、とか、うまくいかなかった、とか、いろいろあります。実際にどのような研修を行っているかというと、2〜3週間の研修の最後に、「あなたは何をしに行くんですか?」という質問をします。あなたのミッションは何か、図にしてください、と言っています。すると描けない。全体をうまく説明が出来ない。部分同士の関係も明らかに出来ない。そして、相手との関係も不明確。これまではそのまま海外に出て行っていました。そうではなく、自分を中心に描き、相手も描き、どういう目的で行くのかをかいて欲しいと話しますと1時間程度で描き終えます。それを元に議論をするのはとてもおもしろい。彼らは反省しながら、自分のミッションを確定していきます。そして現地で、図の中の言葉を英語や現地語に換えながらやっているようです。するとおかしなことにはなりません。

すると今度は財務省から連絡がありました。なんだろうと思っていましたら、税関の研修所からの連絡でした。日本全体の税は50兆円ほどあるのですが、そのうちの10%の5兆円は関税でとっているということでした。人数からしたらすごいことですよね。その人たちが、日本の関税の仕組みはよく出来ているので、ODAで世界各地に教えてくれと言われるのだそうです。彼らはみんな英検準1級クラスだということで、英語で教えています。しかしなかなかうまくいかない。そこで図解を使いたいということで、JICAから研修の話を聞いたそうです。日本の税関の仕組み、税関職員が何を考えているのかがわかってきます。
図を使えば、単語を変えていけばいいということになります。ですから、海外の人とコミュニケーションを取るには、いい仕組みだと確信しています。私自身、日本航空で行った広報課長会議でもそうでしたし、自動車メーカーからもASEAN地区の会議で図を使ったらうまくいったという報告がありました。

私は著書を多く書いています。中国、韓国、台湾、マカオといった東アジアで、16冊ほど私の本が翻訳されています。図解に関する本です。こういった本はアメリカにはなく、日本にしかありません。まだ翻訳中のものも10冊以上あります。中国、韓国、台湾等の東アジアは、一種の「図解ブーム」と言っていい。中国の長春にあります吉林大学で客員教授として教えていましたが、非常に関心が高い。なぜならば中国人も困っているからです。なぜか。漢字だらけで嫌になっているんです。要するにどうなっているのか、ということを知りたい。しかし、アメリカにはこういった考え方はありません。ですから日本の私の所にくるということです。
さて、「図解コミュニケーション」という日本独自の武器を使おうじゃないかという主張です。日本人に最も向いています。アメリカ人やヨーロッパ人は図を描けません。図という言葉がありません。彼らは表音文字でコミュニケーションを取っています。速読はできますが、図解として全体をとらえる脳にはなっていない、ということが、最近の脳の研究で言われていることです。では日本人はどうでしょうか。日本人は、ひらがな・カタカナ・漢字があります。ひらがなの大海の中にカタカナの岩が浮いています。そしてその周りに漢字という島があります。私たちは文章をざっと見ますが、それは鳥瞰的に漢字の島を見ながら全体を理解しているらしい、という最近の脳研究で言われています。だから図は日本人に最も向いていると言えるのです。
中国人はどうでしょうか。中国人はすべて漢字なので、そのようにはなっていないらしいのです。確かにアメリカ人に教えると下手ですし、中国人も時間がかかります。マイクロソフトで数回講演をしたことがあります。パワーポイントを作っている会社ですが、図を描けません。欧米人のプレゼンテーションはすべて箇条書きです。それは、図を描く脳になっていないからです。最も得意な手法を使って仕事をすべきで、人の真似をするからだめだということになります。だからこそ図を使うべきだと主張しているのです。

人物記念館を600館近く回りました。何をやっているのかというお話をします。リストを見ますと、四国、箱根、山中湖、河口湖、名古屋、湯河原、金沢、長野、茅ヶ崎…とずっと回っています。一人ひとりの人生をじっくりと見ることができ、実におもしろい。毎回、ブログに訪問記を書いております。これを10年近く続けています。
明治・大正時代はどんな時代だったかというと、日本の最も新しいグローバル化の時代でありました。ですから、福沢諭吉後藤新平といった偉人がどうやってこの難局に対処したのかがわかり、非常に参考になります。さて、ここで私の結論を一つ申し上げます。いかに歴史を知らなかったかということです。近代史についてはブラインドです。この人物記念館を巡る旅は、人物を中心とした日本近代史の旅をしている気分になります。それから、日本人にはなんと偉い人が多いのだろうという感激の連続です。
そしてもう一つ、どんな偉い人であっても死ぬのだということがわかりました。不思議ですね。こんなに偉い人は死なないのではないかと思うのですが、必ず死んでいます。初めて、人生は有限であると気がつきました。このように人物記念館を回っていますと、日本人とは何か、何が日本人の精神かということに対して関心が高まります。
新渡戸稲造の新渡戸記念館に行きますと、武士道とは何かということが書いてあります。武士道というのは、元々英文で出版されました。日本語の本では、日本語訳と書いてあって変な感じがします。そこにはこう書いてあります。「日本は、仏教神道儒教の混合体である」。なるほどと思いました。「仏教では慈悲心を学び、神道からは忍耐心を学び、儒教からは道徳心を学んだ。これが武士道である。これが日本の精神だ。」とありました。これを読むと、なるほどわかった、という気がしますね。となれば、そういうことを勉強すればいいではないかと思うようになります。ところが、この近くの小田原にあります二宮尊徳記念館に行きますと、二宮尊徳の方がえらいのです。「神道ひと匙、儒仏半匙ずつ」。なるほどと思いますね。成分分析だけでなく配分の量まで書いてありました。確かにそうです。神道が中心で、儒教仏教は半分ずつ入ったのが日本である。これでわかったような感じがします。これを元に読む本を決めていけばいいではないか。こういう発見が随所にあり、おもしろいのです。
この旅は、特に前の方に座っている方々にお勧めしたいですね。団塊の世代の旅としては抜群にいい。大体、グルメだ、温泉だといっている場合ではありません。何を食べても同じです(笑)。そういう日本人の精神をもう一度掘り起こして若い人に伝えることが大事なのではないでしょうか。なおかつ、若いときにはその偉さがわかりません。私も最近になってわかってきたのです。家内と一緒に回ることもあります。家内に「この人はえらいね」と言うと、家内は「この人はえらいかも知れないけれど、とても悪い夫だ」と言うのです。母親と一緒に行きますと、母親はまた違うことを言います。家族旅行にも適しています。
次に図?のリストがあります。これは私が回った580館の旅の中から見えてきた「本物の条件」です。

本物の日本人の条件の第1番目は「仰ぎ見る師匠の存在」です。必ず先生がいます。例えば、渡辺崋山には佐藤一斎がいました。高杉晋作には吉田松陰森鴎外には渋江抽斎森鴎外は二足の草鞋を履いた人だったので、自分と同じように二足の草鞋を履いた人を師匠としていました。
それから、北里柴三郎福沢諭吉渋沢栄一徳川慶喜会津弥一は坪内逍遙横山大観岡倉天心昭和天皇明治天皇ですが、「明治大帝」と必ず言っていました。童門冬二は、太宰治を師匠としていました。白洲正子青山二郎、という風に必ず先生がいます。

2番目は「敵との切磋、友との琢磨」。切磋琢磨する友人やライバルがいるということです。
例えば正岡子規夏目漱石と1867年生まれで、同年生まれです。完全に裃を脱いだ仲になっていますが、大変おもしろい書簡集が出ています。高村光太郎萩原守衛武者小路実篤志賀直哉。10代から70年もの間、友人同士です。
草野心平は友達が多い。
岡本太郎は、テレビで「あなたのライバルは誰ですか」と聞かれると、すると「ピカソだ」と答えていました。アナウンサーは驚いて「ピカソですか。どのくらい近づきましたか」と聞くと、「もう追い越した」と言うんですよね。誰も否定できませんので「ああそうですか」と終わってしまうようです。このように、必ず友やライバルがいるというのも、本物の条件です。

次は「持続する志」です。志がずっと続いている人が多いのです。途中で変えないんですね。
原敬は日本最高の総理大臣です。どのアンケートを採っても、原敬が日本最高の政治家になります。
牧野富太郎は小学校1年で中退しました。死ぬまで94年間、ずっと植物を調べ続けました。「私は草木の精である」と言っています。
羽仁もと子は教育者で、家計簿を作ったのも彼女です。「煙のように消えてしまうお金の足跡をつかみます」というおもしろいキャッチコピーでした。
徳富蘇峰は「近世日本国民史」という本を書きました。100巻です。55歳から始めて、完成は89歳でした。世界最大の著作ですね。皆さん、「年をとったな」と思っている場合ではありませんよ。50代の後半から世界一の著作を書けるということですから。
大河内伝次郎は、昔「丹下左膳」に出ていました。この人は俳優だったのですが、庭を造るのが一生の趣味でした。お金を稼ぎ、京都に「大河内山荘」という6千坪の山荘を作りました。庭は残る、フィルムは消える。池波正太郎も小学校卒です。この人もものすごい量の本を書きました。
大山康晴は45年間A級であり続けました。羽生名人ががんばればもしかしたら、追いつけるかもしれないと言われているほどの人で、小学校以来ずっと将棋をやっています。「真似の出来ない芸を持つことが一流の条件である」。なるほどと思いますね。
市川房枝は20年間参議院議員でした。「憤慨ばあさん」と青島幸男が名付けていました。憤慨する人だったそうです。志がずっと持続することが重要だということです。

4番目は「怒濤の仕事量」。どの分野においても偉人は桁外れに仕事量が多い。少ない仕事量で偉くなろうということが間違いであることがわかりました。仕事を選んではいけないということです。
樋口一葉は24歳で亡くなりますが、死に至る直前の14ヶ月でほとんどの作品が書かれています。「奇跡の14ヶ月」と呼ばれていますね。
渋沢栄一は500社を作りました。日本のほとんどの企業は、渋沢栄一の声のかかった会社です。
与謝野晶子は5万首を作りました。斎藤茂吉の3倍です。ライフワークは、源氏物語の新訳を作ることでしたが、40代のときに書き終えたにもかかわらず、関東大震災ですべて燃えてしまっています。がっくりときますよね。気を取り直して、60歳で完成します。根性が違います。しかも、与謝野晶子は子どもを13人産んでいます。ご存じでしたか。男女半々ぐらいです。24歳から42歳まで毎年妊娠しているという状態でした。私たちは言い訳ができませんね。
太宰治は天才と言われますが、30代で亡くなる頃は、毎年10冊ぐらいの本を書き続けています。
中山晋平古賀政男古関裕而は作曲家です。作曲家は膨大な曲を作ります。中山晋平は65歳で亡くなりますが3千曲残しています。古賀政男は73歳で亡くなりますが4千曲、古関裕而は80歳で5千曲残しています。すさまじいですね。2、3日で1曲書いています。にもかかわらず、名作を残しています。
松本清張は42歳でデビューし、700冊という大量の本を世に出しています。
石ノ森章太郎も仕事量が多く、「親父が休むのは正月の一日だけで、あとはすべて仕事をしていた」と息子が証言しています。
怒濤の仕事量に挑戦しなければ代表作はできあがらないし、後世にも残るものも出てこないということがわかりました。

「修養・鍛錬・研鑽」が5番目です。こうした偉人のほとんどの人は、いつも自分を磨いていこうという気概があります。修養というのは、「知識を修め人格を養う」ということですね。鍛錬は「鍛える」、研鑽は「研く」という意味ですが、偉人はみんなそういう人ですね。詳しくは後ほどお話する機会があろうかと思います。

6番目は「飛翔する構想力」です。偉人には、自分のやっている仕事以外のところに広がっていって、いろいろなものを取り入れながら、大構想を持っている人が多いということがわかりました。
徳川光圀は「大日本史」の編纂を着手しました。これには徳川幕府と同じくらいの250年ほどかかっています。徳川幕府がなくなってもまだ徳川家の私的事業として編纂を続けてやっと完成しました。
後藤新平はご存じの通り大事業構想家で、都市政策の父であり放送の父です。すべての父と言われています。しまいにはボーイスカウト日本連盟の初代総裁でありますね。何でもはじめにやる人です。
松下幸之助宮崎駿石ノ森章太郎も構想力に優れています。
辻村寿三郎は人形師でご存命です。私が辻村寿三郎館に行きまして本を買おうとしましたら、「サインしますよ」と言われて、死んだ人が生き返ったのかと驚いた記憶があります(笑)。まだご存命です。その時はギリシャ神話の人形を作っていると聞きました。

「日本への回帰」が7番目となります。ほとんどの偉人は、一旦西洋にかぶれますが最後には日本に帰ってきます。日本にはそれだけのものがありそうです。岡倉天心南方熊楠柳宗悦棟方志功司馬遼太郎池田満寿夫…。池田満寿夫も西洋画でしたが、最後は日本に戻ってこようとしました。

これらを見ますと、生年月日というものはあまり意味をなさないことがわかります。むしろ没年が重要なのです。
例えば、樋口一葉との同級生は歌人佐佐木信綱です。佐佐木信綱は1963年まで生きています。樋口一葉は1800年代に亡くなっている。同じ時代とは思えませんよね。近年では、松本清張は1909年生まれです。同級生には中島敦がいます。太宰治がいます。中島敦太宰治は大昔のような気がしますね。松本清張は最近の人です。中島敦は33歳、太宰治は38歳で亡くなっています。清張は83歳です。中島敦の全集は3巻しかありません。太宰治も2、30巻です。松本清張は60巻でした。一番遅く出発しましたが、怒濤の仕事量でこれをやり遂げてきています。
没年が重要です。なぜならば、いつまで仕事をしたのかが重要だからです。調べてみたところ、インターネット上には誕生日データベースというものがありました。自分と同じ誕生日が誰なのかということがわかります。私と同じ誕生日なのは小林一三でした。彼は阪急の創始者です。一三という名前は一月三日生まれだからだそうです。
一方で、命日データベースというものもあります。今日誰が死んだかがわかります。これが実に面白いです。皆さんも見てみてください。これを見ると、意外な人がつながってくることもあって興味深いですね。また、ほとんどの偉人は晩年に仕事をした人が多いのです。団塊の世代もそうですが、定年というものは会社が決めたに過ぎませんので、今からどうするかが重要なのではないでしょうか。徳富蘇峰は94歳で亡くなりますが、ライフワークに取り組むのは55歳からでした。34年間、日夜書き続けて、ギネスに載っている世界最大の著作作家です。
とすると、私たちは年配になったとか考えてはいけませんね。白洲正子は70代・80代がピークでした。「もうそろそろこの辺でいい」という亡くなり方ではだめなんだと、励まされる感じがしますね。こういった話を老人クラブでしますと、皆さん元気が出るようです。

もうひとつの大発見があります。それは「偉い人とは何か」ということです。偉い人の定義です。それは「影響力」です。人にどれくらいの影響を与えたかがその人の価値を決めるのではないか、というのが私の結論です。もちろん良い影響です。そして影響力を導き出す式もできました。影響力とはまず、自分の身の周りに深い影響を与えるかが1点です。2番目にその時代に広く影響を与えるか。3番目は長く影響を与え続けることができるか、ではないでしょうか。つまり「影響力=深さ×広さ×長さ」です。このタテ×ヨコ×高さの総量の多い人が偉い人だと考えられるのではないでしょうか。
すると、近代で最も偉いのは誰かということを考えることができますね。誰かというと、私のふるさとの福沢諭吉であります。彼は当時、「文部省は竹橋に在り、 文部卿は三田に在り」と言われていました。慶應義塾を作りましたが、慶應は今なお繁栄していますので、いまだに「福沢先生」と影響を与え続けています。従って、日本の近代に与えた影響が最も大きいのは福沢諭吉であると言えるのではないでしょうか。私たちは今後、生きる上で身の周りに良い影響を与えたいと思いますよね。自分のできる範囲で広く影響を与えたいものです。そして長く、できれば死後も、と思います。こういったことが、私たちのめざすべき一つの人生のあり方ではないかと思っています。

福沢諭吉の話をもう少ししましょう。彼を尊敬する人は山ほどいますが、北里柴三郎は有名です。北里柴三郎という細菌学者は東大出身なのですが東大から嫌われてしまいます。後にノーベル賞を取りましたコッホの研究室にいたときに東大から恨まれ、日本に帰ってきてもつまはじきにされます。行くところがなく困ってしまい、北里研究所を創りたいと思うようになります。そこで後藤新平が口をきいて、福沢諭吉の土地をもらうことになります。これが北里研究所です。北里研究所は大発展を遂げます。
一方、慶應義塾は医学部がありませんでした。医学部を創る動きになったとき、北里は福沢先生の恩に報いるために、初代の医学部長になり11年間、無給で医学部の発展に尽力します。もう一人は小泉信三という人物です。慶應義塾の塾長を14年間務め、名誉塾長となります。最近まで慶應義塾の塾長室には小泉信三の机が置いてありました。この人は、小さいときに福沢諭吉を見たことがあるそうです。父親福沢諭吉の門下生だったのです。しかし信三が子どもの頃に父親が死んでしまいます。それを助けたのが福沢諭吉でした。小泉信三は一生をかけて福沢先生に報いようということで慶応を盛り立ててきました。

それから岡本太郎の話もしましょう。実は、私は一度会ったことがあります。JALが関係しているグルメの会に行きましたら、同じテーブルにでした。私は大学生の時に悩みが深く、何を見ても選択できない人間でした。そこで岡本太郎の本を読んだところ「迷ったらダメになる方を選べ」と書いてありました。驚きました。「どちらを選んでもいいんだ、どちらを選んでも一生懸命にやればいい」。そう思ってからぱっと選べるようになりました。ですから、そのお礼を言おうと思いました。彼がトイレに立つときに行って、「私は先生の本を読んで…」と言いましたら、よくわかっていないようでした。トイレで隣に並んだことがある、ということです(笑)。この人は「他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ」「やろうとしないから、やれないんだ。それだけのことだ」という言葉を残しています。学生に講義すると、岡本太郎は今でも尚、ものすごい人気です。

鈴木大拙という人がいます。この人は1960年に亡くなりました。世界でもっとも偉い思想家と言われていました。彼の友人が西田幾多郎です。また、彼を助けた財界の大物が安宅弥吉です。安宅産業を創業し、その財力で鈴木大拙の応援をしました。
原敬は日本最高の政治家です。どこで調査をしても日本最高と出てきます。原敬が暗殺されたのは東京です。東京駅南口に「原首相遭難現場」と書いてあります。ちなみに八重洲口には「浜口首相遭難現場」とあります。誰も気がつきませんが大きな柱に書いてあります。東京駅は暗殺の名所なんです。さて、原が偉いのは、19歳から65歳まで、85冊の日記を書き続けたことです。この日記を最も重要な資料であると考え、東京から郷里の岩手に戻しましたので、残ったのです。この人も大変な人でありました。
なお、こちらに出ている原敬の人生鳥瞰図は、私の学生がレポートで描いた図です。自分が最も尊敬する影響を受けた人についての人生の図を描くというレポートです。この図を描いた学生は、今年ソフトバンクに入社しました。なかなかいいですね。
渋沢栄一は、日本資本主義の父です。この人の師は徳川慶喜でした。徳川慶喜に仕えて、その時、明治政府にも仕えました。師の徳川慶喜についての膨大な伝記を完成させています。

松本清張司馬遼太郎とライバルですね。人気でみると芥川賞のトップが松本清張直木賞のトップが司馬遼太郎というのが最近のデータです。
それから、「修養」のところでは、新渡戸稲造を挙げました。新渡戸は修養の固まりですね。京大の教授、一高の校長、東京女子大学の初代学長、国際連盟次長…。「勤めても なほ勤めても つとめても勤め足らぬは 勤めなりけり」なんて書いているので面白いですね。「終生の業は、その日その日の義務を遂行するより外にない」とも言っていて、新渡戸稲造の本はとても勉強になりますし、友人であった内村鑑三も深いですね。私は内村鑑三の本も愛読しております。

「構想力」の松下幸之助。「日本最高の内閣」というメディアの特集がありまして、総理は原敬国土庁長官はどういうわけか松下幸之助が挙がっていました。松下幸之助は「命を懸けて仕事をしても、命はなくなりません」と言っています。つまり、命を懸けて仕事をしろということです。

「日本の回帰」では、棟方志功棟方志功は「わだばゴッホになる」と言って国を出ました。しかしゴッホにはならず、版画家になりました。それは日本の西洋画は偽物である、物まねである、と思ったからだそうです。ですから、日本でどんなに偉い人であっても、海外に行けば誰も知らない。日本独自のものは何か。版画である。版画はゴッホも真似したではないか。それで彼は版画をやるわけですね。そして世界のMunakataになっていく。
岡倉天心も「欧米の模倣に終始する限り真の芸術は生まれない。日本独自の種子を見いだして育てようじゃないか」と言っています。こういうことが日本の彫刻をはじめとするすべてに渡ってきたのです。日本のことを知っているかということがグローバルリーダーの条件の一つだと思いますが、案外日本のことを知りません。私は人物を中心に見ていこうと思っています。
さて、私がこの1年くらい取り組んでいる本があります。それは「図解・日本史」というものです。日本史を全部図解したらどうなるのだろうか。108枚の図解すべてに解説をつけているところです。皆さんに先行して一部だけお見せいたします。江戸幕府の成立についてです。図?を見ながら私の解説を聞いてください。納得していただけると思います。

江戸幕府というのは徳川家康が作った。三河の小大名であった家康は、その後信長と秀吉と組むことによって五大老の一人となり、関東250万石を得て江戸へ向かった。1600年、関ヶ原の戦いで破り、1603年に征夷大将軍となり、江戸に幕府を開府した。そして1605年には大御所となって、大坂冬の陣・夏の陣を戦い、1615年に豊臣氏を滅亡させて、ようやく政局が安定を見た。幕藩体制とは何か。幕府と藩である。幕府は大きな財政力と強大な軍事力と優れた職制で強大になっていった。天領・重要都市の直轄、金山・銀山を独り占め、旗本五千人、御家人1.7万人。優れた職制における老中・若年寄とは、親藩・譜代のうち、親藩からしかなれなかった。町奉行は旗本からしかなれない。大名をどのように統制したか。大名は270人ぐらいいて、親藩・譜代・外様と分かれていたが、武家諸法度一国一城令、参勤交代などを使って、大名の財政力を削いだ。一方、ライバルは二つあった。朝廷と寺社である。朝廷も法律を作り、予算を削減し、京都所司代で監視をした。寺社は、寺社奉行で全国の人たちを寺請制度で檀家に入れた。これが第二代秀忠、第三代家光の時代に完成。対外的には鎖国体制をとり、ようやく徳川政権は安定した。

どうでしょうか。個別の事案は知っているのですが、全体として流れはなかなか説明できないのではないでしょうか。もしアメリカ人に説明するときは、この部分を「Edo Period」として大きく説明することができればいいじゃないかと考えています。元禄文化とは何か、三国同盟とはどういうものであったかなどを図にして、来年には出すつもりですので、ぜひご期待ください。
さて、このようにしますと、世界の名著もすべて図にすることができます。図?はモンテスキューの「法の精神」という本の図です。聞いたことはありますが、読んだことはない本ですね。要するに何を言っているのか。法の条件の合致が必要であるということと、立法・裁判・執行の三権分立を主張しています。権力者が濫用するので抑制のために三権分立にしたということです。モンテスキュー先生は「人が命を懸けてやったものをとんでもないやつだ」と怒っていると思いますけれども。私たちの知りたいことは全体の概要です。細かいことは暇な学者に任せておけばいい。これが並べば、世界思想史となります。そういう教え方が必要なのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

日本というコンテンツも従来のようなやり方だけではなく、図を使いながらやれば端的に説明できるものが結構あるはずです。そういうものを使えばいいんじゃないか。
私は、アジア・ユーラシアダイナミズムに関する深い理解と、図解コミュニケーションという日本独自の武器を使うべきだということ、真の日本人でなければ世界では通用しないということ。先日、外務省の中東の担当者と話しました。日本の「勤勉の哲学」は輸出できるはずだと話しましたら、その通りだと言っていました。現在、中近東はオイルマネーでお金がたくさんあります。それによって子どもがだめになっているそうです。みんな働かない。ですから孫に希望を託すしかないというわけです。最近、サウジアラビア等で日本の番組が流れますと、「日本人は偉い。なぜこんなに掃除をしているのだろう」などと感心しているそうです。本日、私がお話した日本人の生き方・考え方は日本人の自己満足ではなく、外国にも輸出できる重要な資源である可能性が高いということでしょう。


さて、それでは多摩大学をどうするかという話です。私はここにきて5〜6年になるのですが、この間、どうやってこの大学を再建するかというテーマでやってきました。3年前の2010年の6月16日に作った図?があります。
多摩大学実学を中心にやっており、「現代の志塾」としました。現代とはアジア・ユーラシアダイナミズム、志とは社会の不条理に対する解決に職業や仕事で貢献すること、塾は少人数教育のゼミです。これを私共の教育理念にしました。経営情報学部は「産業社会の問題解決の最前線に立つ人材を育てる」と決めました。これはスローガンではありません。この通りにやろうということになり、入試はAO入試とはいわずに「志入試」でいいだろうという話になります。志のある人をとればいい。高校生に向けて小論文コンテストを始めましたら、今年は1,600件集まりました。志という言葉は死語ではないかという疑念があったのですがそうではない。全国の高校生に届きます。そして彼らはかなり長い文章を書いてきます。先日表彰式を行いましたが、素晴らしい高校生が多いです。
カリキュラムも変えました。「産業社会論」「問題解決学」「最前線事例」の3つに分けて、現状にある科目をすべて再編しました。そしてゼミを中心にやっていこうということです。この講義は、「産業社会論」の「世界潮流」の分野に入ります。また、あらゆるものは問題解決ではないでしょうか。仕事や世の中はすべて問題だらけである。したがって、問題の解決が重要です。問題の解決ができればいいといってもいいぐらいです。すべての科目を問題解決学として講義をしてくれということになりました。私の分野も、問題解決学としての図解です。そして「志がなければだめだ」ということになります。志なき人々の犯罪、リーマンショック、すべてそうです。先ほど申し上げたような考え方が重要であるということです。単に方法論だけを知っている人は凶器を持つことになります。正しい刀にしなければならないのではないでしょうか。
問題解決能力の高い志士を、多摩地区を中心とした中小企業へ入れる。この「中小企業」と自分たちのことをいうのもおかしいですよね。志のある企業なんだけれどまだ大きくなっていないだけということではないでしょうか。ですから「志企業」と呼んでいます。学生諸君には、「企業の大中小は関係ない。自分の志と会社の志があったところに入りなさい」と言っています。「志という言葉を使えば試験官はイチコロだよ」と私は指導しています(笑)。若い人が「志」という言葉を使うわけですから手元に置きたいと思うはずです。そして、アジア・ユーラシアダイナミズムに向かっていけ、というのが、私たちの戦略です。この戦略を一つの迷いもなく、ひたすら3年間やってまいりました。結果も出始めています。様々な大学ランキングがあります。「入学後生徒を伸ばしてくれる大学」のランキングで上位に入っています。「面倒見がいい大学」などでも入ってきましたので、この道を迷いなくやれるかどうかが勝負になっていると思っています。

次のページは、韓国の人に説明するために作ったものですのでご覧ください。

さて、それでは具体的に人材像はどのようにしているかというお話です。図?の人材像というものも「多摩グローカル人材」という言葉はできましたが、中身も時間の経過につれてできてきました。今のところの段階では、「多摩グローカル人材」。グローバルとローカルを合わせた人材ですね。多摩のローカリティーを極めることによって、グローバルに目を開く「グローカリティ」という思想を持って、多摩地域の活性化をリードするグローバル人材、と整理しました。
そしてそのための3つの分野があります。「グローバルビジネス人材」「地域ビジネス人材」「ビジネスICT人材」と整理ができました。これはどういう人かというと、グローバル人材は「アジアダイナミズムに真正面から向き合えるプロジェクトマネジメント人材」、これはグローバルに出て行く人です。地域イノベーション人材は「地域の抱える課題を創造的に解決できる地域イノベーション人材」、ビジネスICT人材は「顧客視点とマーケティング感覚を身につけた、技術に強いICT人材」。これで人材像は完成したと思います。あとは具体的な事業の中で、どれをやるかということです。さらにもう一段精度を高めていくことによって、全体がシナジーとハーモニーを持って行けるはずであると思っています。
大学の改革は難しく、議論は「船頭多くして船山に上る」というのがほとんどです。この学校がいいのはそういったところが少ないことです。それと、手前みそですが、図解を使ったことが大きかったと思っています。戦略、人材像、科目…。これをみんなで議論しながら作っていましたので、みんなで作ったという感じになりますよね。ある人が作って従えということではうまくいきません。これは合意形成の技術です。
私は「合意術」という本も書いています。これは国内もそうですが海外もそうではないでしょうか。例えば、日中韓の大問題になった小泉改革の時、留学生と日本人学生が喧嘩をしました。私が「みんな図で描け」といいましたら、お互いに知らないことが結構あり、話し合いができたということがあります。外交とはそういうことではないでしょうか。私が見ている姿、あなたが見ている姿、それを比べながら議論して一つの図柄を作っていくということになるのではないかと思っています。

さて、「鍛錬」という言葉があります。今では死語になっています。これは誰の言葉かというと、宮本武蔵が「五輪書」に書いた言葉でした。「鍛」と「錬」は違います。「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす。」と書いてあります。千日稽古をすると「鍛」ができる。一万日やると「錬」になる。なるほどと思いました。刀を作るときには、「鍛」とはたたくんです。「錬」とは焼きを入れて粘りをつけることです。これらをきちんとやらないと名刀ができあがらないわけです。
これを学校教育に当てはめると、千日というのは3年です。大学の時代は「鍛」をやっているのだ。「錬」というのは、社会に出て練られるわけです。「錬」の一万日がどのくらいかというと、30年です。50歳前後になって人間として成熟するということです。私たちは学校教育で鍛えられ、社会の中で磨いて練れて粘りを出して名刀に仕上がっていく。これが日本古来の人材育成の方法ではないかと思っています。
グローバル人材像というのは、一般論はもちろんありますが、具体的に自分のいる職場あるいはテーマでどうするかが重要です。そういう意味では、今回の講演を準備する中心テーマを頂いたことで一貫した流れができたのではないかと思っています。こういった講演ははじめてです。今日はうまくいくか心配をしていましたが、ちょうど時間になりました。
今日は「日本型グローバル人材の条件」という大きなテーマでしたが、私が今いる立場から見てこのように見えますし、自分でやってきたことを見ていくとこのようにできるのではないかということで、こういう考え方をもっと広めていけたらいいなと思っております。
今日はありがとうございました。