角栄の自分史--母・恋人・妻。

先日の自分史フェスティバルでのミニ講演の一部から抜粋。

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私は最近いろいろな人の伝記や自伝を読んでいます。特に最近2ヶ月は歴代総理の自伝を読み込んでおります。
日経新聞が出している「私の履歴書」という本があります。戦後歴代の保守政治の方々はそれぞれ素晴らしい出来ですが、私が最も優れた自分史だと思うものがありました。

それは田中角栄の自分史です。これは28歳になるまでの自分史ですね。書いた当時は40代前半ですから、様々な役職を経験して、さあこれから総理を取りに行く、という前です。そのときに書いた、生まれたときから28歳までの自分史です。

田中真紀子が「お父さん、お父さんの『私の履歴書』を小林秀雄が誉めていたよ」と言うんです。すると、田中角栄は「へぇ、そうか。小林秀雄って誰だ?」と言ったらしいです。小林秀雄は高名で非常に厳しい評論家です。

私も読んでみましたが、具体的な事実や事件にそこから得た教訓を書いていくという仕掛けになっていました。
女性に関係したところだけを紹介しましょう。
まず、お母さん。お母さんは角栄が上京するときに「大酒は飲むな。馬は持つな。できもせぬ大きなことは云うな」と注意をしました。「馬を持つな」というのは、お父さんが馬で失敗をしたからですね。自分は政治家だから大言壮語もするし、大変反省している、と書いてあります。
それから、「金を貸した人の名前を忘れても、借りた人の名前は忘れるな」などいろいろいいことを言っているんですね。それを彼は守ってきた、と言っていました。

彼は今問題にもなっております理化学研究所の出なんですね。びっくりしましたら、大河内先生という方が理研を作りましたが、その人と仲良くなった。理研の関連会社の社長をやっていまして、大学に行こうと思えば行けたらしいのですが、「大河内先生から得るほうが大きい。私の大学である」と言って、ずっとそれをやってきたということでした。その後、軍隊に行っています。すると、当時の彼女から手紙が来る。手元に届くときには上官が先に封が開いて読んでいる。彼はそれに対して非常に怒り、その時以来、「信書の秘密は非常に大事だと思う」と思ったそうです。
即物的なことで共感を呼び、ほろりとさせられ、人間 田中角栄が非常によくわかります。

奥さんとのなれそめもあります。田中角栄は、一旦結婚をして子供を産んだ年上の奥さんをもらっています。この人は虫も殺さぬ顔をしていたのですが、結婚するときに3つ約束させられます。まず「出て行けといわぬこと」。二番目は「足げにしないこと」。これは前の人からやられたのではないかと思います(笑)。三番目は「もし将来二重橋を渡るようなことがあったら必ず自分を同伴すること」。その3つを言っています。
それ以来25年間、ずっとそれを続けてきました。それ以外はすべて耐えると言っていた、と言います。彼が他の女性を囲ったのは、許されたんだと思いましたね(笑)。そこで「実は彼女の方が一枚上手だった」と書いてあります。

選挙では一度落ちるのですが、二回目に当選します。そのときに、昏々と眠り続けます。「代議士になったんだよ」と言われても関係なく寝ていた。そして「その日が28才の誕生日であった」と終わるという、非常に素晴らしい自分史です。

田中角栄の文章は出色です。
小説家になろうとしたことが以前にあった、と書いてありましたが、そういう才能もあったのではないかと思いました。
具体的な事件とその時の心情と得た教訓、それが人間・田中角栄を実に魅力的に表現している。角栄の「私の履歴書」は、自分史の一つの頂点であると思います。

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