お通夜に参列

大学の同僚だった矢内事務長のお通夜に参列。
車の中で高野課長、趙先生、山本さんと遺徳を偲びながら往復。

矢内さんは52歳という若さで亡くなった。大学にとっては大損失となる将来のある人材だった。
常務理事夫妻、事務局長、副学長とともに指名焼香を行う

お兄様の挨拶「総務畑らしく段取りが上手だった。子煩悩だった。」
宮地事務局長「将来も決まっていたのに無念だったろう」

3年間は学長室長として、そしてこの2年は学部長として様々な相談に乗ってもらい、難しい案件の処理に一緒にあたったが、常に冷静沈着にものごとを処理できる有能な事務長だった。私にも同志を失った感じがある。
公人としても、私人としても、「これから」という時期であったから、さぞ無念であったろうと思う。
矢内章さんのご冥福を心から祈る。


帰りは調布で趙先生と、矢内さんを偲びながら、一杯。
私の知らない矢内さんのエピソードもたくさん聞いた。

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中根千枝「タテ社会の人間関係」(講談社現代新書)を久しぶりに再読。

1967年に発刊されて、すぐに話題になり、ベストセラーとなった本だ。
当時の日本人論ブームの中心に位置していた書物である。
東京オリンピックを控え、その後の高度成長の予感に満ちていた時代の本である。

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)

「リーダーシップ」を論じたあたりでは、日本的リーダー像を明示している。

日本ではリーダーの権限が非常に小さく、直属の幹部を操縦するのではなく、逆に引きずられることが多い。リーダーはカリスマであるというよりも、ある集団の代表者という場合が多い。
このような構造のため、リーダーと部下の相対的力関係によって、リーダーのあり方が決まってくる。能力よりも人間に対する包容力があることがリーダーの資格でる。部下に自由を与えるリーダーという意味では世界でも特殊である。リーダーの成否は直属幹部の把握と統率にかかっている。子分を人格的にひきつけ集団を統合し、彼らの全能力を発揮させることが最重要任務だ。

極論すれば「リーダーはバカでもいい」というこの考え方は一般的に文化人類学者の中根先生の分析で説明できると思うが、リーダーのあり方というのは、固定的なものではない。

平時のリーダーシップと有事のリーダーシップは違うし、組織風土のあり方とも関係している。
どのようなタイプのリーダーシップを選ぶかは、その時々の組織の状況と力量、そしてリーダーたる自分の資質、参加時期、年齢などによって大きく変わってくる。

自分のことを振り返ってみる。
大学の探検部でのキャプテン時代、日航の課長・次長時代、宮城大時代の研究科長や総合情報センター長時代、知研の理事長時代、そして現在の状況、、、、あり方は若干違うが、スタイルは一貫しているような気がする。
理念やテーマを明確にし、部下を巻き込んで問題をスピード感を持って解決する、その過程で本当の仲間と結果を喜び、強くなった絆で次の課題に向かっていく、そういうスタイルか。

この本の「まえがき」では、論文を発表すると読者からの反響に加えて、大学・研究所・企業経営・人事管理・教育研修などの帰還からセミナーや講演の依頼が多くあり、有益な意見を聞くことができ、それがこの本の内容を豊かにした、とある。
やはり作品を世に問うということは、世の中の反応と反響によって、自分がさらに進化することを意味している。作品を作り、発表し続けることが成長の源である。