高倉健主演「幸福の黄色いハンカチ」

高倉健主演の「幸福の黄色いハンカチ」を観賞。

「もてない青年・欽也(武田鉄矢)は中古車を買って北海道旅行へ赴き、一人旅の朱美(桃井かおり)を車に乗せる。やがてふたりは謎の中年男・島雄作(高倉健)と知り合い、結局3人は旅を共にすることになる。雄作は網走の刑務所を出所したばかりで、妻の光枝(倍賞千恵子)の住む夕張へ帰ろうとしていたが…。 名匠・山田洋次監督が手がけた日本映画史上に残る名作中の名作。軽薄だが根は純な若者たちと不器用な中年男の交流は、いつしか心の旅へと転じていき、その終着地でもある夕張を彼らがめざすクライマックスは、黄色を意識させるアイテムの点在や、佐藤勝の音楽の妙もあってスリリングに盛り上がり、その後すがすがしい感動のラストが観る者の心を潤してくれている。」

出演者は若い時代の渥美清を始め「寅さんシリーズ」の役者が多い。封切りは1977年(昭和52年)だから37年前である。
当時は観ていなかったので、最後のシーンでは涙が出るなど山田洋次監督の傑作を堪能した。

週刊金曜日で斎藤淳子は次のように語っている。
1978年の福田首相時代の日中平和友好条約の締結の直後に中国で放映された高倉健主演の「君よ憤怒の河を渉れ」は、中国における外国映画史上最高の1億人の観客動員があり、この2作品が中国人の日本人観を変えた。
それまでは「上にへつらい下の横柄な日本兵」が日本人のイメージだったが、品行方正で剛毅で礼儀正しく温かい日本人のイメージが中国を席巻した。高倉健の醸し出した日本人イメージの遺産がいまなお残っている。
しかし、「健さん」の洗礼を受けたのは現在の40代後半以上であり、現在の若い中国人はこのブームを経験していない。

文化交流の大切さがわかるエピソードだ。
次は「君よ憤怒の河を渉れ」を観なければならない。

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内田樹「街場の憂国論」(晶文社)を読了。
国民国家が解体過程に入たっこの時代にグローバル企業と言われている無国籍企業は、当然のことながらコストを国民国家に押しつけて利益だけを確保する戦略で自由にふるまっている。日本の政権は排外ナショナリズムを喚起しながらグローバリズムに対処しようとしている。これは国民国家の末期の姿である。

街場の憂国論 (犀の教室)

街場の憂国論 (犀の教室)

国政の不採算部門である医療、教育、保険、福祉などを切り捨ててスリム化し、労働慣行を変えて、国全体を機動的にするというのが現在の国家戦略だ。アメリカには農産物以外に売る工業製品はない。ノウハウだけはある。農業はTPP、そしてノウハウである司法、教育、医療、教育などは日本国内の制度変更を迫るという構図である。

「同一労働・同一賃金」という心地よい言葉は、実は高い方にあわせるのではなく、いずれ低い水準に合わせようという流れになると著者はいう。正規労働者の賃金は非正規労働者にあわせて減らすベクトルが働く可能性がある。
一部の人は栄え、ほとんどの人は没落する。中間層の貧弱な国になる。少数の支配者と大多数の被支配層に二極分解していく。格差社会である。国民を飢えさせないということが国民経済の使命だ。それが脅かされようとしている。
以上が著者の時代認識だ。

以下は、ヒント。

  • 処方箋「世界は縮まる。贈与経済の復活。NPOとしての報道専門組織。自分のためではなく人のため」
  • 教育「自学自習のスイッチ。自己教育が続く」
  • 現場の人の話は新書一冊分に相当。