小豆島到着。
中津から小倉。小倉から新幹線で岡山。バスで岡山港。フェリーで1時間強で小豆島の土庄港に到着。
そのまま、尾崎放哉記念館に向かう。
大正時代の俳人。
「いれものがない両手でうける」「せきをしてもひとり」など聞き覚えのある自由律俳句の人である。
1885年鳥取生まれ。一高、東大法学部というコースをたどり、東洋生命保険に入るが37歳で辞める。その後朝鮮に渡るが失敗し、放浪生活に入る。酒癖が悪かったのである。
放浪の最後が小豆島で、この地で8カ月暮らして没している。
この間に200余の自由律俳句を作っている。
街中の町立図書館が管理して
いる尾崎放哉資料館にも足をのばす。
自由律俳句は、放哉の保護者でもあった萩原井泉水が唱えて、門人は放哉の他には山頭火がいる。井泉水は河東碧梧桐の新傾向俳句運動に参加したが、「定型を捨てて、印象をそのままリズムにのせた」自由律俳句を創始する。
記念館で手に入れた吉村昭の「海もくれきる」を読み始めた。
人物記念館にある公式資料とは違って、生身の息遣いが伝わってくる。
尾崎放哉の人物像については、この本の読了後に書く。
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今日の収穫。
- 本山和夫 朝日飲料社長 現場にある課題を問題意識を持って見つけ、その解決を一つ一つ積み上げていくことが、今でも最も重要なことだと考えています。
- 村井満 Jリーグチェアマン 面接では、相手に「実は」と言わせたら、私の勝ちと決めていた。
- 重久吉弘 日揮グループ代表 人も企業もチャンスに出合った時にそれをつかめるかどうかで、運命が変わってしまうものだ。
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2月10日。
死亡。
誕生。
- 平塚雷鳥 原始、女性は太陽であった。