戦後70年企画の映画「杉原千畝」を観る。主演は唐沢寿明。妻役は小雪。
1958年生れのチェリン・グラック監督は、父がユダヤ人、母は日系アメリカ人ということであり、この映画にふさわしい。
リトアニアでヒトラーに追われたユダヤ人6000人にカウナスで日本外務省の命令を無視してビザを発給し7年後には外務省をクビになる杉原千畝の物語。救われたユダヤ人の子孫は4万人以上に及ぶ。彼らは後に様々な国の大臣、芸術家などになり世界を変えていく。
ユダヤのことわざに「一人の命を救うことは世界を救うことだ」があるが、その通りだ。
英露独仏語などを操るインタエリジェント・オフィサー杉原千畝は、満州、フィンランド、リトアニア、ドイツ、チェコ、ルーマニアなどに滞在し、混とんとした世界情勢を収集し、本国へ発信し続けていた。
有能な杉原はソ連から「好ましからざる人物」としてのリストに載っていたため、ソ連の周辺諸国でしか活動できなかった。
杉原の故郷の岐阜の記念館を訪問しているので、登場人物の言葉の細部まで背景を理解できた。
例えば杉原とウラジオストック総領事代理の根井は「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして酬いを求めぬよう」という言葉をつぶやく。それは彼らが学んだハルピン学院の校訓である。それを作ったのは満鉄総裁であり、その学院をつくった後藤新平である。
その言葉は、初代総裁をつとめたボーイスカウトの訓でもある。
駐ドイツ日本大使の大島浩は日独同盟の推進者であるが、彼の外務省への打電電報の内容はすべてアメリカによって解読されており、日本の敗戦の一つの要因でもあった。
2000年の生誕100年にあたって日本は杉原の名誉回復の措置をとる。当時の外務大臣は河野洋平であり、それを推進したのは鈴木宗男政務次官だった。
http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20051015/1129302000
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元祖・ザ・クラブのメンバーが参集。東京ステーションホテルのレストラン「陽光」(石原総料理長)。
素晴らしい料理とシャンペン(川島なおみ美さん愛飲。最後のステージのバックに映っている)を堪能。
JR東日本副会長の小縣さんが、UITP(国際公共交通連合)の会長(President)に就任したお祝いを兼ねている。
この国際機関は1885年創立で、世界中の公共交通の1400団体が加盟している大組織。
本部はブリュッセル。航空のIATAに相当。
鉄道、メーカー、地下鉄、バスなどの事業が主体で日本は日立などを含む14団体が参加。
完全に欧州主導だが、欧州以外がトップになったのは史上初。
政策に関する部会も100以上ある。
個人の資格で投票にかけられて決まるポストなので価値が高い。
このメンバーとの付き合いも25年以上になる。
マスコミ、大手企業などで活躍する、活躍していた感度の高い人たちだ。
写真撮影会、京都のワコール創業者館、ブリュッセル、、など来年の企画が目白押し。
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「名言の暦」12月21日
命日
- 北大路魯山人1959:持ち味を生かせ
生誕