王貞治ベースボールミュージアム

福岡ヤフードームに併設の王貞治ベースボールミュージアムを訪問。
EXILの公演ということで、朝なのに人がいっぱい。5万人以上の集客というので、福岡は宿が取れずに、市は民泊を許可している。

このミュージアムは昭和の英雄・王貞治という視点での展示がある「歴史館」と、輝かしい記録の数々を示す「記録館」の二つがある。
実家の中華料理屋の暖簾をくぐるところから「歴史館」が始まる。
中学2年生の時にエースで4番という王少年は、右打ち左投げだった。通りかかった毎日オリオンズ荒川博は、この少年に「左で打てば?」と声をかける。
その後、早実で甲子園優勝投手になり、巨人軍に入団。
水原監督は投手からだ打者への転向をすすめられる。しかし3年目までは打者としては全く振るわない。「オー、オー、三振王」というヤジが飛ぶ。
4年目にあの荒川博が打撃コーチとして巨人に入り再会。バットの始動が遅いという欠点を矯正するために一本足打法を試みる。王にとっては師匠・荒川との出会いが大きかった。
ここから王貞治の快進撃が始まる。
ON砲は15年間にわたって106本のアベックホームランを放つ。
1980年に22年間の現役に終止符を打つが、この年にもホームランは30本を打っている。王としてのバッティングができなくなったということだが、それでも30本という数字だった。

指導者としても素晴らしい実績をあげている。
1995年に万年Bクラスのチームを引き受ける。まず「負け癖」を一掃することから始める。5年目で初のリーグ優勝。そして二度の日本一。
5位、6位、4位、3位、1位、1位、2位、2位、1位、2位、2位、3位、3位、6位。

国民栄誉賞王貞治ハンク・アーロンを抜いて756本の世界記録を達成した時に、第一号として制定された。
福田総理時代だ。

「記録館」では、様々の数字が踊っている。
11866打席。ホームランは868本という世界記録だが、オールスター・日米野球オープン戦などを入れると1032本になる。
MVP9度。タイトル80。
三振1319。敬遠427。

王貞治は、誠実で謙虚な人柄で尊敬されていたが、この福岡の地でもこの人柄が愛されている。
王の言葉:「努力」と「気力」、その二文字に恥じないシーズンでありたい。

長嶋の記念館はあったか?

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「名言の暦」12月27日
命日

  • 若狭得治2005:

生誕

  • パスツール1822:幸運の女神は、準備を終えた者のところにしか訪れない
  • 浅沼稲次郎1898: 戦後起きている天災は、災害にあらずして政治災害であるといっても過言ではない。