「知研フォーラム335号」。

「知研フォーラム335号」が届く。

「今後の知研の将来ですが、あと4年後の2020年、東京オリンピックの年に50年目を迎えますので、それで有終の美を飾りたいと予定しております。」

これは違う。2020年まではやろうという話し合いだったはずだが、、、。

 

  • 根岸昌土「教育界に偉大な貢献をした元白虎隊士山川健次郎
  • 八木哲郎「名著の早読み図解読み・戦前・戦後日本の経済思想とナチズム」
  • 近藤節夫「いまキューバが熱い」
  • 久恒啓一「読書悠々:世界を見つめる本」
  • 諫山禎一郎「わたしの読書あれこれ」

次のセミナーは近藤さんのキューバ報告がいいではないか。

 

「名言との対話」12月24日。加藤唐九郎

「大家といわれる人たちは、年取るほど作品が若くなってくる。ゲーテ然り、トルストイ然り。」

加藤唐九郎(1897--1985年)は大正から昭和にかけて活躍した陶芸家である。瀬戸周辺の古窯を調査、発掘し、織部、黄瀬戸、志野の再現につとめ、独自の作品を制作する。陶器世界のルネッサンスといわれる「桃山」を超えたといわれる陶芸の名人である。陶磁器と一般に呼んでいるが、土を焼いて固めたものを陶器といい、石を焼いて固めたものを磁器という。陶器はたたくと木琴のような音がし、磁器は金属製の音がするので見分けることができる。

「あの、立派な手で、私のオッパイを、わしづかみにして、ひねった時の先生は、少年のようでした。私は、おもわず、「土では、ありません」と叫んでいました。」大空真弓)。こういう逸話があるように、博覧強記、不羈奔放、妥協なき言辞、天衣無縫、豪傑、八方破れ、陶聖、哲人、天才、野人、ミケランジェロ、、、と並ぶ言葉をみると人物像が浮かんでくるような気がする。

新聞で陶芸に関する大事な記事を見つけると、赤鉛筆でアンダーラインを引き、項目別にスクラップにしていた。この根気と努力が、昭和47年の「原色陶器大辞典」(唐九郎が編纂)に結実している。

唐九郎は日記をつけていた。「この日記は、このまま昭和陶磁史なんじゃ。発表したらえらいことになる!」と言っていた。追悼集刊行委員会発起人の山内寿夫は「いつ、どう発表するか、我々は痛切な宿題を負った」と記している。

・「古いものを継承し破壊する戦いがなければならぬ。芸術は一種の革命である」

・「悩まない人間に進歩はない。迷ったり悩んだりする度に人間は大きくなっていく」

・「素晴らしい音楽のように、陶芸も人間の感覚に訴え魂を奪うような魔力を持っていなければ芸術ではない」

あらゆる分野の大家たちは、年をとる、というよりも「年輪」を重ねるという姿で晩年を過ごしているのだ。自身を日々革新し、芸術革命を担っているという意識なのであろう。加藤唐九郎の日記はもう出ただろうか。読みたいたいものだ。

 

「副学長日誌・志塾の風161224」

大学院の時間割で少々トラブルあり。