服部龍二「田中角栄--昭和の光と闇」(講談社現代新書)を読了。
大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞特別賞を受賞した傑作・「日中国交正常化--田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦」(中公新書)を以前読み、著者の力量に感心した
。この著者の田中角栄論に興味を持って読んだ。
1972年に54歳で首相となった田中角栄は、日本人が最も愛する政治家であり、同時に最も批判された政治家でもあった。
田中は昭和時代を最も体現した人物であったから、昭和の日本人が愛し嫌悪したのである。田中の政治家人生を追うことは、同時代を生きた人々の人生の軌跡をなぞることでもある。
この本では日中国交回復以外には従来深掘りがされていなかった欧州と東南アジア歴訪という外交にも紙幅を割いている。
昭和という時代と田中の足どりは幾重にも重なっている。インフレ。グランドデザイン。メディアの持ち上げと批判。人心操縦術。現代保守政治の源流。
以下、田中の言葉や述懐から。「責任」がキーワードだ。
「偉くなるには大将のふところに入ることだ」。
「頂上をめざすには、敵をできるだけ減らすことだ。自分に好意を持ってくれる広大な中間地帯をつくることだ」
「郵政・電信電話・電波等の事業を、皆さんの協力を得て、ますます盛り立てていきたい。、、最終責任はむろん私が取るから、皆さんはそれぞれ自分の仕事を責任をもって進めてほしい」(郵政大臣訓示)
「私の出身地のなんとかの息子で人格円満高潔、健康優良につきご採用願いたく、尚本人についての責任は小生がすべて負います」(就職の斡旋依頼時。だから選挙に強い)
「人の悪口はいうな」
「政治の醍醐味は総理になることではない。政権政党の幹事長になることだ」(小沢一郎への語り)
「政治はベストよりもベター。つねにタイムリミットがある」
「これまでだって禅譲の約束は何回もあったが、守られたことがあったかい。しょせんは政治家の空手形なんだからなあ」(大平が福田からの禅譲を期待しているときに)
「俺は、福田と九回戦ったが、全部勝った。だけど俺のほうから仕掛けた戦いは一回もないよ」
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「名言との対話」12月25日。チャプリン。
「次の作品です。」
チャップリン(1889年4月16日 - 1977年12月25日)は、イギリス出身の映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサー、作曲家である。左利き。世界の喜劇王。
チャプリンは大の日本びいきだった。ステッキは日本の竹製、一番大切にした秘書は日本人だった。1932年に日本に立ち寄った時、5/15事件に遭遇している。
80歳の誕生日に報道陣をシャットアウトした。スイスの新聞は「沈黙を守るのは仕方がない。81本の彼の映画のうち76本が無声映画なのだから」と粋な解釈をした。世界の喜劇王には味方が多かったのだ。
「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。」
「人生に必要なものは、勇気と想像力。それと、ほんの少しのお金です。」
「下を向いていたら、虹を見つけることは出来ないよ。」
「あなたの最高の傑作は?」という問いにチャプリンは「次の作品です」と答えた。常に次の仕事を自身の最高にしようとしていた。この心がけは見習いたい。実績を積むと、心が緩んで仕事が雑になる人が多いが、この人は手を抜かず、今まで身につけた経験と知恵を総動員して、最高のパフォーマンスをあげようとした。これが「世界の」という形容詞をつけられるほどの偉大さの源がある。