昨夜、テレビで夏目漱石の「坊ちゃん」をやっていた。
本で読んだり、オーディオブックで聴いたりしてはいるが、映像を観ることで、この傑作小説が頭に残った感じがある。
2016年は漱石の没後110年であり、「坊ちゃん」誕生100周年にあたることから、このテレビドラマが企画されたそうだ。
主役の嵐の二宮和也以下、配役もよく考えられていて楽しむことができた。
- 作者: 夏目漱石
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さて、今日は誕生日。
私は人生を、少年期、青春期、壮年期、実年期、熟年期、大人期、仙人期と命名している。
いよいよ実年期に入っていく。
自分と同じ1月3日生まれの人には親しみを感じる。
坂本龍馬、小林一三、クレメント・アトリー、鶴見祐輔、河上丈太郎、三岸節子、安藤太郎、柴崎勝男、平山秀雄、山本学、入交昭一郎、稲越功一、岩下志麻、横路孝弘、尾木直樹、高瀬春奈、、、。
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「名言との対話」1月3日。小林一三
- 「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしてはおかぬ。」
- 大阪急を一代で築いた小林一三と筆者は同じ日に生まれているから親しみを感じている。小林の場合は、1月3日生まれという単純な理由で一三という名前がついた。
- 阪急池田市にあるのは逸翁という茶人としての活動を示す逸翁美術館と、雅俗山荘と名付けて住んでいた自宅を使った小林一三記念館である。小林は三井銀行で15年働き、退社した後に電鉄経営にまい進する。この美術館や記念館に掲げてある小林が遺した言葉には組織で働く人たちにとって膝を打つような言葉が多数ある。このような上司を持っていたらどんなに幸せだろう、と思わせるような言葉群である。「サラリーマンとして成功したければ、まずサラリーマン根性を捨てることだ」「金がないから何もできなという人間は、金があっても何もできない人間である」。まさに言葉は人格の発露である。
- どんな仕事を与えられてもくさることなく、その小さな分野の第一人者になることから始めよ、という意味のこの言葉には成功への叡智が込められていると共感する人は多いだろう。阪急電鉄の社員は電車の中で座席に座ることをゆるされなかったし、どのような係りにいても「係りが違うからわかならい」ということは通用しなかった。質問魔でもあった小林一三は教育者的資質に富んだ率先垂範型の名経営者だった。人材はたくさんいるわけではないから、どんな人間にもどしどし仕事をさせて、優れた人物に育て上げていくという小林の教育哲学の真髄がこの言葉にはある。
「名言との対話」1月3日。坂本龍馬。
- 「事は十中八、九まで自ら之を行い、残り一、二を他に譲り以て功を成さしむべし」
- 坂本龍馬と同じ日付に誕生したことを知るとなぜか元気になる。そして「竜馬がゆく」で司馬遼太郎が発掘し創造したと言われている風雲児に関心が湧いてくる。
- 大政奉還は山内容堂と後藤象二郎の事業として成就したが、その実際の功労者は坂本龍馬であった。また新政府の人事案を西郷隆盛にみせたとき、維新の功労者の龍馬自身の名前はなかった。その理由を問われて、「世界の海援隊でもやらんかな」と答えて、同席していた小松、大久保も驚かせている。
- 龍馬の哲学を表すこの言葉は、種を蒔き、肥料をやるが、収穫は他の人に刈り取らせよ、という意味である。龍馬はやや近視らしき風があるが、精神においては遠視であったという同時代の証言がある。仕事の成果が見えた時には、すでに次の時代のテーマを遠望していた。他人にはそれがいつも大風呂敷に見えたのだろう。
- 功を譲った後は、わき目もふらずに新しいテーマに挑み続けるという人生哲学は、今も続く坂本龍馬の人気の源だろう。