東京国立博物館平成館「始皇帝と大兵馬俑」を見学。

上野の東京国立博物館平成館「始皇帝と大兵馬俑」を見学。

2200年前に現れた秦王・政は中国初の統一王朝を打ち立てた。王をしのぐ最初の皇帝である「始皇帝」を名乗った。
合従連衡はこの時代の強国である秦をテーマとした戦略を指す。
1974年に始皇帝の巨大な墳墓の近くで約8000体の陶製の兵士や馬からなる「兵馬俑」が発見された。20世紀最大の考古学的発見のひとつ。世界八大奇跡。
政は13歳で秦王に即位。39歳で中国統一(前221年)、始皇帝。47歳焚書、48歳坑儒。50歳死去。
同時代は、日本は弥生時代。エジプトはプトレマイオス王朝。マケドニア。シリアはマウリア朝。、、。
度量衡の統一。漢字の統一。中央集権体制。全国巡行5度。巨大な宮殿、長城の造営。その後の中国王朝のモデルとなった。
西周(襄公)--秦(始皇帝)--漢(劉邦

これは始皇帝が夢見た「永遠なる世界」の一部である。
中国旅行の際に、西安近郊のこの兵馬俑は見学したことがある。凄い迫力だった。

以下を購入。
学研まんが「世界の歴史」(秦の始皇帝)。塚本青史始皇帝」。鶴間和幸「人間・始皇帝」(岩波新書)。東京国立博物館始皇帝と大兵馬俑」。

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「名言との対話」1月9日。中川一郎

  • 「真実一路」「寒門に硬骨あり」
    • 志を遂げようと少派閥を立ち上げ果敢に挑戦する中川一郎。このような立場に立ったとき、権謀術数の道に入るか、誠実を旨として信用の蓄積をすこしづつはかっていくか、道は二つに一つだろう。中川は、率直、大胆、駆け引きのない人柄であり、信義を守り、友情に厚く、そして親に孝行を尽くした。持ち前の可愛さと千万人と雖もこれを排して進む気概を携えて突進し、そして57歳の若さで倒れる。「中川一郎農林水産大臣生誕の地」という碑から、この記念館までの道は「天馬街道」という名前である。生誕から死去までこの人は天を駆ける馬であった。
    • 「雲を呼ぶ飛竜であり、風にうそぶく猛虎そのものであった」と福田赳夫が評した北海のヒグマの愛称で親しまれた異色の政治家・中川一郎が自ら命を絶ったのは1月9日である。その記念館は北海道十勝町広尾に悠然と建っている。中川が和服を着て佇んでいるような印象であり、思わず居ずまいをただしたくなるような建物である。