江国香織訳「更科日記」(日本文学全集03・池澤直樹編集)を読了。
竹取物語・伊勢物語・堤中納言物語・土佐日記・更科日記と並んでいるが、まずは更科日記を読んでみることにした。江国香織の現代語訳がこなれていて、抵抗なく読めた。
この日記は「源氏物語」が書き紡がれていた年の1008年に誕生した菅原孝標の娘が書いた自伝である。
当時話題の「源氏物語」に憧れる文学少女は、光源氏のような男が現れるのではないかと夢想しながら娘時代を過ごす。
都である京と父の任官で地方でも暮らすが、その旅の様子も克明に記しており、1000年以上前の暮らしや考えがわかる。
旅の途中で出てくる地名もなじみがあり興をそそる。
下総、武蔵、相模、隅田川、足柄山、富士の山、上総、駿河、遠江、天竜川、浜名、三河、終わり、美濃、墨俣、逢坂、近江、東山、常陸、石山寺、東大寺、長谷寺、鞍馬寺、和泉、淀、住吉、大津、、、、。
この娘は「源氏物語」から始まり、伊勢物語その他の物語に夢中になり、昼も夜も読みふける。
宮中に女房として出仕したり、結婚したり、子供を養ったり、そして老境になっていく。
この間、親しい人や縁のあった人たちとの会話は、歌である。
「何一つ願いがかなうことなく終わった女、それが私なのだから、いまさら功徳を積んだりもせず、ただなんとなく生きている」と述懐する。
千年前も今の時代も、あまり変わらない。
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堀江敏幸訳「土佐日記」のき紀貫之による冒頭の「諸言」を読む。
貫之は地位は高くないが、歌人としての力量への自負もある貫之は、地方任官は気が進まなかった。
土佐の国司を5年つとめ、六十も半ばを越えようとするときに、ひらかなで女を装って土佐から京までの旅を書くのだが、漢文でも和歌でも書ききれないなにかを表現しようとしている。
自身の不安定な心を言い表すには、漢字でも漢詩でもやまとうたでもどこか物足りなし。自身をいったん屏風の中の登場人物にしてしまうしかない。ということで、作歌の一段上をゆく表現を試みて女の日記という散文形式にしたという。
「土佐日記」の内容そのものは後で読むことにしよう。
「名言の暦」1月11日。堀越二郎。
- 「私の武器は、納得がゆくまで自分の頭で考えることだった。裏づけのない議論のための議論はきらいで、実物と実績で見てもらいたいという主義だった。、、これこそが、技術に生きる者のよろどころであることを身にしみて感得した。」