世田谷文学館で「浦沢直樹展−−描いて描いて描きまくる」開催中

世田谷文学館で「浦沢直樹展−−描いて描いて、描きまくる」開催中でみてきた。

この文学館は企画力が優れているので、ファンになっている。今年度は4つの企画展のうち3つをみた。
植草甚一大岡信、そして浦沢直樹だ。

浦沢直樹は現代マンガの最高峰。凄まじい原稿量。圧倒的な画力。比類なき物語性。
代表作の一つ「YAWARA!」の猪熊柔は、田村亮子の活躍とかぶり人気があった。
「Happy!]は、「ウィンブルドンセンターコートで試合がしたい」という少女の物語。

中学校の卒業文集「十年後の自分」には、「十年後、マンガを書く人にでもなっているとたいへんです。毎日毎日、仕事に追われて死にそうです。」とあるが、浦沢はその通りの人生を送っている。
大学卒業にあたって、就職活動で訪れた小学館で、ついでに自作の漫画をを持ち込む。知り合いになった編集者からすすめられて新人漫画賞に応募し入選する。おもちゃ会社のデザイン職に就職も決まっていたが、「1年やってだめだったらやめる」という覚悟でアルバイトをしながら漫画を描く。23歳で「BETA!!」でデビューする。

訪問者のノートを繰ってみる。浦沢のファンが多いが、漫画家志望の若者もいる。「勇気が出ました」とも書いてあった。
神戸など地方からも来ているが、香港からの人や、韓国人の人もいた。

「一日4ページづつを淡々と描いていくと、6日で24ページが終わる。そういうふうにしたほうがいいち思うんですよね。最近は」
「アシスタントがいなければここまでの物量は世に出せない。最終チェックで自分の思う絵に近づけるようにしています。」
「人間はどんなことで感動するのか、ひたすら考える」
「とにかく面白い題材を探して、描き続けるということ以外にない」
「僕の絵が見たいという人が一人でもいるなら描きますよ。、、、絵が描けなかったら、ただのおじさんだから」
「毎日、ちゃんと描くということ。マンガが上手くなる方法はそれ以外ないです」
「ネタが浮かばなくても、考えて考えて考え抜く。究極まで追い込まれることが力になる」

デビュー32年で150冊。3万ページ。手塚治虫全集が300巻で、今400巻。
千夜千画(千夜千図)。

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「名言の暦」1月26日。藤沢周平

  • 物をふやさず、むしろ少しづつ減らし、生きている痕跡をだんだん消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終えることができたら、しあわせだろうと時どき夢想する。
    • 英雄ではなく、微禄の藩士、次男坊三男坊、厄介叔父、浪人など下級武士や庶民を描くことの多かった藤沢周平は子供の頃は吃音で悩み、成人してからは結核で6年間の闘病生活を送る。体温は35度台だった。44歳の遅いデビューから69歳で没するまでの25年間で74冊の書籍を刊行している。1月26日は命日。
    • 「一人の平凡な人間もドラマを持っている。こういう人に興味を惹かれる。」「普通の生活を続けていくことの方が、よっぽど難しいことなんだよ。」「キラキラ光っているものはきらい」という藤沢は、人を驚かす構図の北斎ではなく、人間の哀歓が息づく風景という人生の一部を切り取った広重のような作風である。「三屋清衛門残日録」などは実に味わい深い作品でファンが多い。この作品がテレビドラマ化された時、晩年の父がよく見ていたことを思い出した。鶴岡の記念館の静謐なたたずまいも藤沢らしくて好きだ。
    • 郷里で高校の教師をしていたときの教え子たちへの一人一人のアドバイスなどをみると、この人は生徒たちに慕われていたことがわかる。
    • 人生訓を振りかざした説教ではなく、ぼんやりとそういったものが見えるような小説を書こうとした。その藤沢は、この言葉に見るようにこの世に生きた証を残そうというより、ひっそりと生きてひっそりと消えていこうとした。しかし、まじめに生きようとする庶民に向けたしみじみとした藤沢のメッセージは時を超えて読者の心に深く響くだろう。