「大村智−−2億人を病魔から守った化学者」を読了

大村智−−2億人を病魔から守った化学者」(馬場錬成・中央公論新社)を読了。

大村智 - 2億人を病魔から守った化学者

大村智 - 2億人を病魔から守った化学者

初版は2012年であるが、私が読んだのは2015年11月10日付けの第6版。
つまり、中身は2015年のノーベル賞受賞の前に書かれたものだ。

大村は微生物の生産する有用な天然有機化合物の探索研究で優れた業績をあげ、感染症の予防・撲滅に顕著な貢献をしている。
また、学術研究で稼いだ特許ロイヤリティ収益250億円を北里研究所に還流させた。これは産学連携の模範ともいうべき業績である。
さらに、女子美術大学への支援や、私費による韮崎大村美術館の建設、学校法人開智学園の運営などの業績もある。


共同研究方式
「共同研究という形で資金提供を受ける。創薬につながる微生物由来の天然化学物質を見つけて特許をとる。特許の専用実施権は企業に与える、化学物質と研究成果はを提供された製薬企業は薬を開発しビジネスにする。ビジネスになった場合は特許ロイヤリティを大村に払う」

地元の山梨大学を卒業後、都立高校の夜間教師をしながらの東京理科大大学院での学び、から始まる大村智の人生行路は魅力がある。
このような偉人に誰が影響を与えたのか、そして大村はどういう心構えと考えで生きていったのか、そこに焦点をあててみたい。

  • 母「教師たる資格は、自分自身が進歩していることである」
  • 父「日本では講師どまりかもしれない。だったら世界を目指せばいいじゃないか」
  • 田中元之し進「社会にでてから5年間が勝負だよ」
  • 横山隆策「人と同じことをしていてはだめだ。ライバルを上回ることを考えてやらなければ勝てないぞ」
  • パスツール「チャンスは準備が整っているところにやってくる」
  • 王済夫「山は低くても仙人が住めば価値がある」

大村智

  • 処万変主一敬(誰もが自分の師であることを思うことが大事だ)
  • 独自のことをやると、人より悪い場合もあるが人を超えるチャンスが生まれる。
  • レベルの高い人とお付き合いすることが大事である。レベルの高い人たちと付き合っているといつしか自分もそのレベルになってくる。そのためには自分を磨いて、いい仕事をしなければならない。
  • 志あれば道あり。
  • 正師を得ざれば、
  • 学ばざるに如かず(道元
  • 至誠天に通ず
  • よき人生は日々の丹精にある(松原泰道

この人はたいへん偉い人だ。
明日の土曜日は、韮崎大村美術館を訪問しようと思っていたが、大雪予想のため断念。近々出かけることにしたい。
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「名言との対話」1月29日。本多静六

  • 「人生の最大の幸福はその職業の道楽化にある。職業を道楽化する方法はひとつ努力(勉強)にある。
    • 本多静六は研究生活の傍ら植林・造園・産業振興など多方面で活躍した。日本初の林学博士であり、明治神宮の天然更新の森の実施者であり、日本公園の父と呼ばれている。また独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築くが、定年を機に全財産を匿名で寄付している。1月29日は命日。
    • また、処世術の分野のスターでもあり。若い頃から断片的に読んだり、聞いたりしていた記憶がある。「給料の四分の一は最初から天引きして貯金せよ」などのアドバイスはよく知られている。高名な学者で人生に関する技術や方法を述べたのは、新渡戸稲造とこの本多くらいだろうが、当時は「修養」の時代でもあり多くの青年に影響を与えた。埼玉県久喜市の記念館には本多の業績と人生が展示されている。
    • 本多は25歳から一日一頁(32字・14行で448字相当)の文章修行を始めた。42歳の時に腸チフスにかかって休んだ分を取り返すために一日三ページに目標を改め馬力をかけたのが新しい習いとなって、一年で千ページというのが新しい取り決めとなった。この習いは85歳までも続いたため、中小370冊の著書を持つようになったのである。
    • 私は毎日ブログを書き続けているのだが、ペースは本多静六が続けたペースとほぼ同じということに気がついた。本多はこういうペースで走り続けたのかという実感がはじめて湧いた。
    • 「幸福」に関する名著は古今東西あまたあるが、職業の道楽化とその本質を喝破したのは本多である。置かれた場所、今いるところ、目の前の現場、そこで第一人者になれということであろう。
    • 本多のもうひとつの幸福論をあげてみよう。「人生の幸福は、現在の生活程度自体よりはむしろその生活の方向が上り坂か下り坂か、上を向くかで決定されるものである。つまり、人の幸福は、出発点の高下によるものでなく、出発後の方向のいかんによるものだ」。深く納得する至言である。