司馬遼太郎「覇王の家」を読み始める

司馬遼太郎「覇王の家」(新潮社)を読み始める。

覇王の家

覇王の家

  • 外様大名に大盤振る舞いをすることによって、一気に天下の鬱気を散じ、政情を安定させた。
  • 譜代に薄く酬いたのは江戸の将軍を軽んじないためで、徳川の世が続くには譜代の臣の結束いかんにある。譜代は薄禄だが格は外様より上とし、幕閣の政務は譜代しに名誉を与えた。外様には参政権を与えなかった。

「名言との対話」3月8日。谷沢永一

  • 「男が成長するとは、自分が持たないものをひとつひとつ確認し、次第にあきらめてゆく行程である。」
    • 76歳の時点で200冊を超える著作を持つ稀代の著述家・谷沢永一(1929-2011年3月8日)は3月8日に81歳で死去している。鋭い舌鋒で文芸評論を書き世の思想家の心胆を寒からしめた人物。入院中も、頭の中で原稿を書いているんやと妻に語っていたほど物を書くことに没頭した人生であった。
    • 私は当初司馬遼太郎作品の名解説者として名前を知ったが、この人の書くものに惹かれてかなりの本を読んでいる。座談の名手で、文壇のエピソードを満載した巧みな話術で対談集も多い。「、、開高が「会食をする時に、皆を笑わせる小話をちゃんと用意してこない者は、罰するべきである」と言っていました。、、」。なるほど、それを実行しているということか。
    • 「後日に思いを残す未練が生じないように、その時点において思い浮かべるすべてを書き尽くすつもりで集約の気分に発してとりかかる姿勢を常に私は基本方針としていた。」「ローマは一日にして成らず。、、、用意なくして行為なし。人のする仕事は準備と用意の結果である。」「何が好きかわからぬうちは、一個の生物であっても一人立ちの人間ではない。好きこそものの上手なれ。これ以上に人の生きる道を指し示すのに有効な名句はない。」
    • 少年の頃にはあらゆる可能性がある。青年になったときにはかなりの可能性を捨てている。壮年では進むべき方向の選択肢は限られている。谷沢のいうように、私たちは可能性を捨てながら人生を歩む。その過程で自分の持っているものの少ないことを確認し、ひとつひとつあきらめて、わずかに残った道を歩んでいく。それは大人になっていく行程なのである。