学部運営委員会で新執行部誕生。大学院学位授与式。

「名言との対話」3月12日。孫文

  • 「欧米の覇道ではなく、アジア諸国と協力し合う王道を歩め」
    • 中国と台湾双方から国父と呼ばれている孫文は、3月12日、数奇な大いなる生涯を閉じた。死に際して、「和平、奮闘、救中国」という言葉を遺した。
    • 上海孫中山故居記念館。入り口の前の孫文銅像はきりりとして、おしゃれでかっこいい。宋慶令との結婚の仲介をした梅屋庄吉、小さな挙式を挙げた和田という弁護士など、孫文の人生と中国革命にも日本人が関わっている。孫文が可愛がった蒋介石の写真もあったが、涼しい目とりりしい口もとのいい顔をしている。孫文は「民族・民権・民生」の三民主義が有名だが、日本に鉄道の調査に来るなど中国のインフラ革命の計画を立てた人でもあった。黄ほ軍事学校を創設して総理、校長は蒋介石、政治部主任は周恩来であった。
    • 孫文は、日本との縁が深い。中国革命がなった後、革命に貢献した日本人として、宮崎滔天梅屋庄吉などがいる。しかし、そういった井戸を掘った人々の名は中国における共産革命政権の誕生とともに忘れられてしまった。
    • 日本人の生き方の特徴は真面目さにあるとする親日孫文は「西方覇道か、東方王道か、、。西洋文化に感化力を及ぼす。、、、我々は仁義道徳を中心とする文明に対して覚醒して彼等を感化する文化を必要とする運動である。」と日本に期待していた。覇道と王道は、日本がアジアとの関係を考えるときに、今なお示唆を与える言葉である。